裁判所はこの件について、当時、ローカルレベルで解決すべきことである、という判断を示している。
そうした中、交通事業者は、障害者は移動しないからアクセスは必要ないという主張が出始めた。一方、障害者は、アクセスできないから公共交通を利用することができないのであり、そのために移動ができないと主張した。こうした議論の末、交通事業者は、メインストリーム(一般の公共交通で対応する)ではなくバン等の特別車両で対応することが解決策であるという見解を示した。
こうした過程を経てADAが制定された。1990年のADAではモビリティもアクセシビリティも当然のごとく両方必要であるという結論に至った。さらに、移動が基本的人権として認められるに至った。図2-2-2に示すようにADAは障害者に対する差別の禁止と就業や移動などの機会の均等など包括的な内容を持ち、以後の交通に関連する法律にも影響を与えることになる。