異文化の融合と衝突
椎木輝實
この頃、異なる文化の融合と衝突という問題について、しきりに考える。いつになっても果てしない民族の争い、宗教上の対立、国家間の紛争の数々――そのいずれも、もとをただせば、異文化を理解して認め合う……、あるいは絶対に認めない――対立軸はその一点にあるように思われる。
新国立劇場の1月公演、ビゼーの「カルメン」を観て、改めて、そのことを思った。個人的には、新国立劇場における東京交響楽団の多角的な活動ぶりに感心したが、グスタフ・クーンの演出には、もうひと工夫欲しい気がした。先年、パリ・オペラ座(バスティーユ)で上演されたオペラ・コミック版「カルメン」では、男女の恋の果ての悲劇と同時に、ホセの属する文化圏とカルメンの属する文化圏の価値観の衝突という視点を重ねていた。
最近、フランス青年とジプシー娘の恋を描いた話題の映画「ガッジョ・ディーロ」(ロマニー語で“よそ者”の意)=仏。ルーマニア合作=を観る機会があったが、この恋の場合には“よそ者”のフランスの若者がジプシーの世界の習俗、価値観を懸命に理解しようと努めるところに救いがあった。今回のオペラ「カルメン」も、異文化の衝突という対立軸、女を支配しようとする男と、男の支配を拒む女という視点が加えられたら、さらに陰影に富んだ舞台になったと思われる。歌手では、ミカエラ役の佐藤美枝子が出色の出来映えで、将来が楽しみな人という印象を受けた。
さて、異文化の融合という点となると、必ず、そこによき紹介者、秀れた先駆者ともいうべき人物が存在することに気づく。私は、昨年暮、偶然1枚のCDを聴き、深い感銘を受けた。ラファエル・フォン・ケーベル(1848-1923)の「9つの歌」――。ケーベル生誕150年を記念して、ゆかりの人達が大事に保存し、写し伝えた楽譜をもとに、精魂こめて1枚のCDを制作した。歌唱はソプラノの古嵜(こざき)靖子、ピアノは小松美沙子(制作=音楽之友社)。
ラファエル・フォン・ケーベルの名から推して、どこかで聞いたことがあるような、と思われる方があるかも知れない。ロシア生まれのドイツ人哲学者。1893年来日。東京帝大哲学科教授として教壇に立ち、西田幾多郎、姉崎正治、阿部次郎、安倍能成、和辻哲郎、岩波茂雄ら多くの人材を育てた。
が、ケーベルは若き日には音楽家を志していたという。19歳の時、モスクワ音楽院に入学。ピアノをニコライ。ルービンシュテイン、作曲をペーター・チャイコフスキーに学んでいる。来日後、音楽教育面でも力を発揮し、1898年から1909年まで東京音楽学校でピアノと音楽理論を教え、その門下から橘糸重(いとえ)、幸田延、滝廉太郎らの逸材が出ている。つねに折あらばピアノに親しみ、また作曲活動を続けていたが、結局、彼は故国に帰ることなく、愛弟子の橘糸重に楽譜「9つの歌」を残し、1923年、関東大震災の3カ月前、75歳でその生涯を閉じた。
遺言にいわく、「彼女ハ其等ヲ注意深ク通読シ、ソノ監視ノ下ニ複写セシムベシ。而シテ好シト認メタル場合ニハ公表スベシ。」橋は大震災の混乱の中、ケーベルの楽譜を守り抜き、のちに清書複写して知人に配った。それが弟子の岩波茂雄の娘、百合と小百合の手を経て、孫の小松美沙子に渡り、彼女らの努力で初めて陽の目を見ることになった。芸大でピアノを学んだ小松は、1990年、東京のドイツ学会総会で、メゾ・ソプラノの藤村美穂子とともに、全曲初演を果たした。今回の録音は1998年3月に、ソプラノの古嵜靖子の協力を得て、ドイツのスタジオで行われたが、ケーベルの魂の叫びは、いまも力強く、聴く者を打つ。第1曲「ぼだい樹のかげ」から第9曲「悲しみのあまり右手を伸ばし」まで、繰り返し聴くたびに、思わず胸が熱くなるのを抑えることが出来ない。「君知るや南の国」(ゲーテ詩)は、トーマの曲とはまた違ったしみじみとした情感に満ち、人に訴えかける。「確かなもの」のだんだん少なくなって行くこの現代――ケーベル先生が残した貴重な遺産に注目したい。
(しいのきてるみ・ジャーナリスト)