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しかし、それらを実際にこの目で確かめ、触れてみて、単に知識としてではなく実感として覚えることができるのは解剖実習をおいて他には在り得ないと考えている。その解剖実習を行うことができる特権を医大生である私が有しているということにまず感謝せねばならないであろう。実際のところ、私はそれほど勉強熱心ではなく決して優秀な学生とはいえないであろう。ただ、私は解剖実習においては非常に真撃な気持ちで毎日実習に臨むことができた。というのも、解剖実習は私のような凡庸な学生さえも引きつけるような多くの驚きや感動が存在したからである。それは例えば、解剖当初の皮はぎとその下に隠された様々な結合組織や筋肉、脈管、神経であり、腹腔を開いたときの私がそれまでに持っていた各臓器(特に消化器)に対するイメージが覆された。あの大きな驚きと喜びであり、頭蓋冠を開き、硬膜に包まれた脳を見たときの、まさしく人間の中枢となっている神経を自分の目で確かめることができた時の感動であった。そのような衝撃の中で勉強していくにつれて、実習当初は神経線維と血管はおろか、動脈と静脈の区別さえままならなかった不勉強な人間も最後にはそれらの大まかな全身の走行や形状を思い浮かべることができるまでになった。ただ一つ後悔(というよりも大きな疑問)として残ったのが、私が実習を続けていく中で、御遺体を無償で提供していただいた方にたいする畏敬の気持ちをふと忘れたことがなかったであろうかという点である。

 

 

 

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