「仏の栄光」を如何に実現するかが仏の不変の国家理念であり、かつ、これの実現が仏外交の主要目的であることは、保守、左派のいずれにおいても、また、冷戦後の今日においても変わりがない。具体的には、核保有国、安保理常任理事国としての独自の立場を生かして冷戦後の新たな国際秩序の構築に積極的役割を果たすと共に、欧州統合においても主導的な役割を果たすとの外交姿勢を堅持している。
ロ 核の抑止力を保持しつつ核軍縮へ積極姿勢
核の抑止力の信頼性、安全性維持のため、95年9月から96年1月まで仏領のポリネシアにおいて6回の核実験を実施した。これにより、仏の核兵器の信頼性、安全性が確認されたため、シラク政権は96年1月に核実験の終了を宣言するとともに、2月には地上核兵器全廃、徴兵制廃止をはじめとする新国防政策を発表した。また、欧州安全保障における欧州の自律性・独自性を追求する仏は、NATO内での「欧州の柱」強化を目指し、95年12月NATO軍事機構への一部復帰を宣言。
ハ 欧州外交、「仏独関係を機軸とした欧州統合」
仏の欧州外交の基軸は、独との協調の下で欧州統合を主導することであり、この方針は、シラク政権も基本的に維持している。
ニ 欧州の最大のパートナー米国との協調
仏は、米国の欧州におけるプレゼンスの必要性は認めつつも、欧州の独自の防衛力強化に積極的であるなど、米とは一線を画す立場をとっている。このような立場は踏まえつつも、米仏・米欧の新たな関係の構築を目指している。
ホ アジアへの関心の増加
94年3月のジュッペ外相訪日、同4月のバラデュール首相の中国訪問等、仏の外交の座標軸にアジアがくっきりと浮かび上がっているが、そのような方向性は、知日家のシラク大統領の誕生により、益々強くなったと考えられる。
仏は、アジアについては、市場参入(仏側統計によれば、日本は仏の最大の貿易赤字国)が最大の関心事項と見られるが、政治・経済・安全保障面を含む総合的な関心も強めている。また、カンボディア、ベトナムといったインドシナでの協力は、今後の日仏協力のモデルとして重要。アジアは、日本と仏の接点として「協力関係」を強化していく場でもある。
(3) 我が国との関係
イ 概観
1615年、支倉常長一行がローマに向かう途中、地中海で嵐を避けるためサントロペの港に一時避難したのが、日本人がフランスの地を踏んだ最初である。
日仏の本格的な交流が始まったのは幕末以降であり、フランスの法体制、産業技術、文学、思想等が明治時代の日本社会の形成に大きな役割を果たした。