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次に、第二に、法文の性質上、一定の抽象的・包括的文言は不可避ではあるが、罪刑法定主義の視点からは、一般人の目からみて「法文からどこまで処罰されるのか」が明確でなければならない(明確性の原則)。新領海法の「職務の執行を妨げる行為」という文言の中に、殺人、傷害、窃盗、器物損壊などの個人法益を侵害する行為も当然含まれるという解釈は、言葉の意味の可能な範囲を逸脱し、あるいは、一般国民の予測可能性を著しく害することになるように思われる。なぜなら、新領海法は、国家の包括的・排他的な領域主権の及ぶ領海の範囲を確定すると共に、領海に接続する海域に沿岸国の特定の権限を行使する接続水域制度を定めたもので、国家の領域主権ないしは管轄権という国家法益を保護する法律であるから、少なくとも、通常の判断能力を有する一般人の理解において、当該規定から殺人罪や傷害罪を初めとする個人法益に対する罪の適用を受けるものと判断することには困難が伴う。しかも、あらゆる刑罰法規の総則的規定ともいえる刑法2条の国外犯処罰規定は、国家法益及び社会法益に対する罪のみが列挙され、個人法益に対する罪は一切盛り込まれていないことにも注意する必要がある。厳密にいえば、個人法益は、「職務の執行を妨げる行為」そのものではなく、職務の執行を妨げる行為の「結果」として侵害されたに過ぎないのである。

このように考えると、公務執行を妨害する罪以外の法益侵害行為については限定的に考えるべきであり、公務執行の妨害の過程でなされた法益侵行為を広く処罰することは妥当でないように思われる。

ただ、公務員の生命・身体は法益としての重要性も高く、公務執行妨害罪の法定刑が三年以下の懲役・禁錮とされていて必ずしも高くないことも考え合わせると、公務執行妨害行為の結果として発生した公務員の殺傷については処罰の必要性も高いし、それを処罰することは、沿岸国の主権もしくは主権的権利の中に包含されるものであるから国連海洋法条約上も認められる立法措置であると考える。公務執行妨害罪の実行行為が同時に殺人罪及び傷害罪の実行行為に該当する限り、両罪を刑法54条1項前段の観念的競合と解することは追跡権の本質からは否定される結論ではないが、刑法の基本原理である明確性の原則からは、すみやかに法改正をし、明文の規定を設けることが望ましいと考える。

 

 

 

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