日本財団 図書館


いう新しい外交方針は両国の関係を急速に好転させた。両国首相の訪問が実現し、経済的協力関係が深められた。中国とは、1988年外交関係を再開した。さらに、カイソーン首相が日本、フランスを訪問し、西側諸国との関係改善も図られた。

 

(6) 1990年代のラオス

自由化・開放化をすすめる「チンタナカーン、マイ政策」の効果が、経済分野にだけではなく政治、社会面にも現れてきたのは1990年代になってからである。

全方位外交を展開し西側諸国との関係改善に取り組んだラオスは、かつてのソ連や東欧諸国からの援助を西側諸国に肩代わりさせることに成功し、ソ連崩壊に伴う援助削減の危機を乗り切った。経済自由化のための政策を実行、外国からの投資を歓迎、インフレの抑制と、経済発展の道筋を整えていった。また、憲法をはじめとする法律の整備にも取り組んだ。こうして、次々と改革が行われるなか、1992年11月21日、カイソーン大統領が72歳の生涯を閉じた。人民革命党の指導者として社会主義国家建設を目指しながらも自ら自由化、開放化政策の音頭を取ったカイソーン大統領は、それが効果をあげてきた矢先になくなったが、彼の敷いたレールは後継指導者、カムタイ・シーパンドーンに引き継がれている。 

1997年7月には、ラオスは東南アジア諸国連合(アセアン)加盟を果たし、東南アジア諸国の一員としてのラオスという姿勢を打ち出している。

 

4 ラオス憲法

 

ラオスの政治体制、統治機構、党の役割などについては、建国後15年余りを経た1991年8月に制定された憲法に規定されている。この憲法では、ラオスは将来社会主義に進むが、当面の目標は人民民主体制を樹立することにあるとされ、党は自由化、開放化路線の継続を確認した。前文と10章80条からなるこの憲法の内容は以下の通りである。

前文―ラオスの歴史と本憲法の意義。第1章―政治体制に関して、主権在民、党の指導的役割、普通選挙などを規定。第2章―社会、経済体制に関して、市場経済を基礎とする経済体制、私的所有権の保障、自由競争などを規定。第3章―国民の義務、権利に関して、納税、兵役の義務、法の下の平等、選挙権、被選挙権、教育を受ける権利、居住。移転の自由などを規定。第4章―最高人民議会が国民議会へ変更されること、国民議会の役割(憲法の承認と改正、大統領及び首相の選出、法律の制定など)を規定。第5章―大統領の任期(5年)、権限(首相、副大統領、閣僚の任免、軍に対する司令権)を規定。第6章―内閣に関しての規定。第7章―地方行政に関しての規定。第8章―司法機関に関しての規定。第9章―言語と国章に関しての規定。第10章―憲法改正規定。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION