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(3) 言語

ヴィエトナム語の発音では6種の声調(イントネーション)があり、例えば日本語では同じ「マ」という発音でも、ヴィエトナム語ではイントネーションによって6とおりの意味がある。日本語と同じように、日常の語彙は古くから伝わる民族固有の言葉(日本語の大和言葉)であるが、社会組織や概念を表す語彙は中国(主に漢)の時代に輸入されたので、語彙の約7割は漢字に由来している。例えば、「大使館」は「タイ・スー・クワン」であり、「意見」は「イー・クゥェン」といい、「義理」は「ンギァ」という。また、仏の植民地支配を受けたため仏語に由来する言葉もある。駅(仏語では「ガール」)は「ガー」といい、バスは「ブュイ」という。古くは、公文は全て漢字表記をされていたが、17世紀にヨーロッパ人宣教師がヴィエトナム語のローマ字標記を考案し、仏統治時代に小学校でローマ字標記を教え始めたことから、今では漢字を読める人は少なく、ローマ字標記が一般化してしまった。

(4) 歴史

越の歴史が史書に表れるのは秦の始皇帝の「南越征略」(BC214年)にであるが、以来、仏に征服される(1883年)までの2100年間、中国に度々進入され、中国の征服期間は通産1000年を越える。このため、越の歴史上の英雄は全て中国と戦った人である。また、モンゴルの元が日本を攻めあぐんだ後、越に進入しようとしたことがあったが、越は巧みな戦術で現在のハイフォン付近の白村江の戦い(バクダンの戦い)でこれを打ち破り、以来元の勢力が衰えたことから、越人は冗談混じりに「日本をモンゴルから救ったのは越のおかげだ」ということがある。

ヴィエト族は10世紀頃までは、北部の紅河デルタを本拠として北からは中国、南からはチャンパの進入を受けてきたが、10世紀頃に独立国家を打ち立て、以来、南に版図を広げ始めた。その後、チャンパを滅ぼしさらにメコンデルタに進入してクメールを追い払った結果、ほぼ現在の越の国土を自らの版図とすることができた。

1883年に仏に征服され植民地化され、その後、独立運動を続けた。日本が日露戦争で勝利を収めた頃、越の独立運動活動家は日本に注目し、多くの活動家が日本に渡る(ドン・ズー(東遊))こととなった。しかしながら、その後日仏協調が成立したことから、これらの活動家は本国に返されてしまうこととなり、代わって活動家たちは欧州に渡り欧州の共産党と接触したため、ホーチミンを中心としたインドシナ共産党系の活動家が独立運動の主導権を握ることとなった。日本は第二次世界大戦開始後、インドシナに進駐し越にも駐留軍を置くこととなった。日本軍進駐後も統治は仏が続けていたが、1945年初頭に仏から日本に統治権が譲られることとなり、同年の終戦までの約半年間は日本が統治した。

1945年8月に日本が降伏したことから、同年9月2日、ハノイのバー・ディン広場でホーチミンが独立宣言を行い、ヴィエトナム民主共和国が成立した。その後、仏は再び駐留軍を派遣して越を再植民地化した。ホーチミンはこれに対抗して抗仏戦争を展開し北部に政権をうちたてた。

 

 

 

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