ヴィエトナムは、確かにいろいろな困難はありますけれども、美しい女性もいます。例えばヴィエトナムというと、皆さんご存じだと思いますけれども、アオザイ、こんなふうな感じで、アオザイというのがきれいなところです。ところが、これは実は日本人で、畑参議院議員で、(笑)どうも船田先生ごめんなさいということなんですけれども。ヴィエトナムの美しい女性というのは、こういう人で、これは私の秘書をしていた女性なんですけれども、こういう美しい女性もいますので、ぜひヴィエトナムに、優秀でしかも身持ちの固い人を送っていただきたいということをお願いしたいと思います。
最後になりますけれども、日本に帰ってきまして、いろいろつらつら、当時から考えてたこともいろいろあるんですが、日本の経済協力というのも、今まで押せ押せで拡大してきたんですけれども、今、日本に帰ってきてみると、非常にやっぱりいろいろな環境が厳しいなということで、今後ODAのあれというのは、あまり伸びないんじゃないかなと思います。まあ、むしろ減るかもしれない。その中で、やはり、今、私のいる国際業務二課でも取り組んでいることなんですが、なるべく質の高いODAをしていかないといけないだろうなと思っております。
そんな中で、じゃ、一体何が質が高いのかということをやっぱり考えていかなきゃいけないわけでして、あと、非常に財政事情も厳しいし、国民のODAを見る目も厳しい。そんな中で、やっぱり、説得力のあるODAをしていかないといけない。それはやはり、ODAをやって、それが要するに日本にどう返ってくるのだということが何らか説明がつかないといけないんだろうなと思います。
ハノイに行く前に、経済班に所属するということなんで、あわてて本屋へ飛び込んで、経済開発協力の本なんかを買ったりして、斜め読みなんかもしたんですけれども、どうも巷にある本を見ますと、それぞれの本を見ると、ODAかくあるべしというのが、あまりにも一面的に書いてあるような感じがいたします、実際に、私みたいに現場をほっつき歩いてみますと、やっぱりODAというものの中には、いろいろな要素があって、いろいろな要素があってもいいんじゃないかなと思います。
確かに、NGOとかいろいろな方が行っていらっしゃるみたいに、病院とか小学校をつくって、井戸を掘って、住民に役に立つような、住民が直接裨益するようなODAが大切なんだということをおっしゃる方もいるし、それが必要なのは確かだと思います。ただ、ヴィエトナムの事情なんかを見ていると、小学校をもう1,000校以上つくっているんですね、無償で。ところが、その小学校の教員に払う給料がない。なぜならば、政府が貧しいので、小学校の教員の給料を払えない。だから、先生はどうしているかというと、学校に行って、いきなり家に直行して帰る。家に早く帰ってきて、家で塾を開いて、そこで稼いでいる。学校の勉強なんかはどうだっていいわけですね。それで、塾に来た自分の教え子は高い点をつけちゃう。こういうふうなことが起こっている。こうなってくると、じゃ、小学校さえつくれば教育がよくなるかというと、よくならないわけですね。大学をつくればどうなるか、よくなるか。ところが大学の先生は、もういまや、語学の先生は通訳か何かをやって、そっちのほうが忙しい、あるいは翻訳業で忙しい。だから、授業なんかどうなってもいいんだと、そうなっちゃっているわけです。やっぱりそういう点、貧困を何とか向上していくという点では、社会開発ということがどうしても必要だし、インフラ整備というのが必要で、そういう点ではぜひ皆様のお力が必要なんだろうと思います。
そういう面がどうもあまり、いわゆるODA批判の中で隠れちゃって、見過ごされているんじゃないのかなというのは非常に思いました。だから、インフラ開発だけが大事だとは言いませんが、もちろん病院も学校もみんな大事で、そういうことのバランスの問題なのかなと思いました。
それから、やはり今回紹介したように、日本は金さえ出してくれればいいと。これだけは何とか勘弁してもらえないかなと。やっぱり日本がODAで協力していく中で、日本にやっぱりありがとうと言ってもらわなければ、ありがたいと思ってもらわないと、どうしようもないわけでして、そんな中で、ヴィエトナムにいろいろ社会開発のお金の協力はするけれども、やはり日本のことは考えてほしいなというのが、現場の第一線に立つ者としては思いました。
それにはどうするかというのは、実はそう簡単ではないんですけれども、やはり、なるべく日本を紹介するようなことをやっていかないといけない。あるいは、単に物をつくるだけじゃなくて、やはり物のつくり方、あるいは物の使い方みたいなことを協力していかないといけないのかなと思いました。だから、例えばヴィエトナムの港で、ある工場へ寄っていて、パイルを打つ、そうすると、ヴィエトナムの鉄板であまりいいのがないんですね。2メートル幅の鉄板をキューッと上げて、これをキュッと溶接していく。また同じような輪っかをつくって、その上にポンと溶接してつける。非常に直線的な精度がなくて、でこぼこになるわけです、こんなものを打ち込んでいる。要するにヴィエトナムの中でモスクワ大学で首席を取るような非常に賢い人はいるんですが、こういう人が現場に行って、そういうことをちゃんと見なきゃいけないということを教育されていないわけなんです。だからそういう人は、要するに、本省にこもって、じっと書類の仕事だけをしている。日本のように、やっぱり現場に行ってちゃんと物を見るというようなシステムができていない。そういうこともやはり、一つ一つ積み上げていかないといけないんだなと。