それから、私がいたときでさえ、ある地方に出張に行きましたけれども、地方のインド国境のほう、チンドウィン川というものがあるんですが、5ページの地図で、マンダレーより北のほうにサガインディビジョンというのがありまして、すぐ横にChindwin Riverと英語で書いてありますが、その字で書いてある辺りに行ったんですけれども、私が行ったときには、バスに一個小隊、護衛でついていただきまして、女性の方もいらっしゃるのであれですが、途中でバスでちょっともよおしまして、トイレに行きたいと言って道へとめてもらったんですが、まず一個小隊が散開態勢に立ちまして、その中で用を足すというような国でございます。そういった意味で、地方においては国家統一がまだなされていないというのが正直なところだと思われます。
英国の植民地時代を経まして、英国の統治から独立したいという願望と、それから、ちょうど1940年ごろ、我が国の大東亜共栄圏というような話ですとか、あるいは中国戦線との関係で延焼ルートを破壊したいというような戦略が一致いたしまして、ビルマの独立のリーダーであった当時のアウン・サン将軍をはじめとした30人の人々を日本に連れてきて、あるいは海南島へ連れていって訓練して、その人たちを先頭にして、日本軍とともにビルマを解放した。43年には彼らに独立を与えたということでございます。
それまでビルマには軍というものがございませんで、その訓練した30人の人たちが軍をつくった。そのまま今も引き続いて軍が政権を握っているということもありまして、ビルマの軍は日本につくってもらったんだということで、向こうの政府の方々は、あいさつがわりにかなりそういうような話をしてくださいます。防衛庁の方々などにも話を聞くと、全く旧日本軍式な組織体系あるいは軍の体系になっているということを言っておりました。
こういったことが、ミャンマーがいかに親日的であるかといったことの原点になっているのは間違いございません。ただ、国を解放したという観点では、ほかの東南アジアの諸国みな同じなわけですけれども、ミャンマーについては大変親日的でございまして、その理由はよくわからないんですけれども、よくいわれるのは、日本があんまり悪さをするひまもないまま負け戦になってしまったというようなこと。それから、基本的に同じアジア人で仏教を信じるということで、同じような文化を共有しているといったことが背景にあるのではないかという分析をされている方が多いようです。
戦後になりまして、そういったアウン・サン将軍を中心といたしまして48年に独立。その後、共和時代があったわけですが、アウン・サン将軍が暗殺されたということもありまして、中心人物が亡くなったということなんでしょう、かなり政治的に混乱があったようでございます。
その後、62年にネ・ウィン軍事政権といったものが成立して、88年までの26年間、いわゆる鎖国のような社会主義体制をしいてきました。ネ・ウィン政権になる前ぐらいまでは、サイゴンと並んでアジアで最も繁栄した都市だといわれていたようでございます。今はミャンマーに住んでいる人はバンコクに買い出しに行くんですが、同時はバンコクからラングーンに買い出しに来たというようなことがよく例えでいわれております。
87年には、国連からLLDCの認定を受けるまで、いわゆる貧しい国になってしまったわけです。
88年に、そういった低迷する経済にうっせきした国民の不満が一挙に爆発して、それと民主化運動、それから共産党の動きなどもあったやに聞いておりますけれども、大暴動にまで発展しまして無政府状態になった。その無政府状態を収拾するために、また軍人が立ち上がって、SLORC政権というものが誕生いたしまして、SLORC政権という名前が、昨年SPDCという名前に変わりましたけれども、その軍事政権が続いております。
その大暴動のときに、有名なアウン・サン・スー・チーさんといった方が登場するわけですけれども、彼女は幼少期を除いてミャンマーに居住しておらず、そのときたまたま母親が病気だそうで、その見舞いに帰国していて、反体制派に一種のシンボルとして祭り上げられて参加したというふうに聞いております、そういったことが今の軍事政権側が特に拒絶反応を示す原因だということですが、またスー・チー女史の話はまとめてしたいと思います。
どちらにせよ、88年に成立したSLORC政権というものは、それまでの統制的な経済を開放しまして、市場経済化を推し進めてきております。今まで、とりあえず年6%程度の経済成長を続けているということです。昨年7月には、待望のASEAN加盟も果たし、まさにテイクオフに向けて助走を始めていたわけなんですけれども、こういった政治問題が解決しないといったことに端を発しまして、欧米あるいは日本の経済制裁とか、あるいは昨年末のアジアの通貨危機に端を発したアジアの経済の低迷といったことの不幸が重なって、助走期間が長いな、なかなか飛び立てずに苦労しているというのが現状だと思われます。