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特別講演:「海、知られざる世界」
NHK編成局チーフプロデューサー
日向英実
テレビがうまれてすでに半世紀、カメラが入ったことのない秘境はまだ地球上に残されているだろうか―そんなことを考えているうちに、そういえば陸地はともかく海のなかには、まだ誰も見たことのない世界が広がっているのではないか、もしその世界を目の当たりにすることができたら、それこそテレビが挑戦する最後の秘境ではないか。最初、そんなことを考えはじめながらこの「海」シリーズの企画がスタートしました。
確かに、深海潜水艇の登場によって、人類は深さ1万メートルもの海底にたどり着くことができました。今では深海のようすがさまざまに紹介されています。しかしその映像には、潜水挺のライトが届く範囲、つまり10メートル四方くらいの範囲しか映っていません。潜水艇が映し出す光景を見ていて、いったいそこがどんな世界なのか想像もつかずいらいらした覚えがあります。
専門家に聞いたところ、これまでに人間が実際に見た海底は、全部あわせても日本の淡路島くらいの面積にしかならないのだそうです。地球表面の七割を占める海の広さから考えると、これはほとんど点のようなものです。
もちろん、海底地形図というものはあります。しかしこちらのほうは、山脈や海溝がどのように延びているかなどといった、おおざっぱなようすはわかりますが、たとえば地上で山の岩肌を眺めるときのように、地形の細部まではわかりません。なにしろ世界の海底地形をあらわしたものは、最新のものでも3.5キロ四方を一つのデータで表現するといった非常に粗い解像度しかないのです。山の上から国見をするように、深海底に立って目の前に広がる景色を眺めることができたとしたら、これまで見たこともない、とても新鮮な映像になるのではないか。これが本シリーズの企画の出発点でした。
しかし、そうは言っても実際にカメラで撮影することは困難です。光がまったく届かない暗黒の世界である深海で遠くを見渡そうとすれば、大量の照明設備をあちこちに設置しなければなりません。そのためには、世界中の潜水艇を集めても追いつきません。費用も莫大なものになります。そこで、私たちはこれまで集められた最新のデータや、実際に潜って現場を見たことのある研究者の意見などをもとに、できるだけ忠実に、そこにあるであろう光景を特撮やCGを使って再現することにしました。
今から4年前、私たちは「生命・40億年はるかな旅」というシリーズを制作しました。このシリーズでは、はるか昔の生き物たちや、その生き物たちが棲んでいた環境を描くために、同じように特撮やCGを使いました。その技術を利用して、こんどは、現にそこにある世界ですが、実際には見ることのできない世界を描こうというわけです。リアルですが、暗くて見えるはずのない不思議な光景です。このような再現映像によって初めて、海底の世界で何が起きているか、そしてそのことが、私たちとどうかかわっているかを実感できるのではないかと考えたのです。
海は地球に残された最後の秘境です。そして同時に、まだまだ多くの謎が残されている世界です。海が地球の環境にどんな影響を与えているのか、海は生命にとってどんな意味があるのか、そして未来のエネルギー資源や食糧資源を海に期待できるのか。まだわからないことばかりです。地球そのものをトータルに理解することの大切さが言われている今、その表面積の7割を占める海について、私たちはもっと深く知る必要があると思います。
(1998年6月 同シリーズあとがきより)