日本財団 図書館


事例1] 「海の環境の現状、漁業者・消費者としてみた海の問題」

鷲尾 圭司 (林崎漁業協同組合企画研究室長)

 

私は明石の漁業組合に勤めていまして、最後に紹介されたタコを相手に毎日遊んでいるわけです。

 

■図2.5.1 森は海の恋人、川は楽しいデートコース (P.138)

片寄先生のOHP、お手元にも配付されていることかと思いますが、これでいくつか海のことを考えていきます。いくつかの鍵になる言葉、キーワードがこの中に織り込まれていると思います。

海に大量にある水が蒸発して雲となり、山に雨をもたらします。それが川となって、また海へ流れていく。水のこうした大きな循環の中に、私たちは生かされているということはもうご承知のとおりだと思います。

こういった中に私たち人間活動がかかわっていくときに、こういう循環になじむもの、また一方で循環になじまないもの、こういうものを生み出してきていると思うのです。最終的にこの私たちの目の前にあります大阪湾というのがどういうことになっているかというと、循環になじむもの、これは生成分解過程を通じて、繰り返し繰り返し利用されるものについてどうなっているのかという話。それと、そういう生成分解という循環とはなじまない、いったん作ってしまったら当分は自然の中に戻っていかないもの、そういうものがあると思います。

「大阪湾が汚れた」と一口に言われますが、その性質とには随分違うものがあるのです。ですから、循環になじむもの、例えば栄養成分です。窒素やリンなどの植物を育てるのに必要な栄養成分でいうと、大阪湾は非常に多いわけです。富栄養化ということで、どんどんそういう栄養が増えてきたがために、大阪湾の環境は変わったということが言われます。

しかし、栄養成分というのはそれで植物が育ち、それを食べる動物がおり、という形で利用されていけば、別に悪いものではないのです。それは循環の中に生かされていくものです。ただ、それが本来その場所が持っている自然の浄化力というか、それを循環に送り込んでいくシステム以上のものが集まりすぎると、そこで滞りを生じるわけです。それが海の底にヘドロがたまり、海の上では赤潮に覆われる、というような状況になります。

大阪湾の奥というのはかなり汚れたとは言いますが、実はこれはうまく生かせれば新しい生物生産のもとになるわけです。大阪湾は広いわけです。奥の方でいうと、赤潮とヘドロで大変な目にあっていますが、これが淡路島寄り、私どものおります明石海峡のあたりへ行きますと、随分様子が違ってきます。その状況は、それこそ明石のタコです。

「大阪湾は死の海や」などと言われていたわけですが、よく見ていきますと、いろいろな種類の魚が生垣、しているわけです。そんな中には、わりと汚れた海でも適応するようなボラであるとか、チヌ、それからコノシロなどというものもいるわけですが、わりときれいな海にいるような魚たちというのもその中に混ざってきています。そういうものがいる、生きている海だ、ということが一点言えるわけです。

明石海峡のあたりは流れが速いので、海の底の泥や砂は吹き飛んでいて、岩場が出ています。鳴門海峡もそうです。次に、少し海峡から離れますと、流れがゆるくなってまいりまして、ごろ石が転がっている。その次は、だんだん粒が細かくなりまして、砂利の場所、砂の場所、そして泥になります。

ですから、流れがはやいところほど海の底の粒はきめは粗く、流れがゆるくなるにつれて細かくなっていきます。そういうところで考えますと、先程の魚の種類も変わってまいります。

流れのあるところというのは、これは水に溶けた酸素が十分供給されますから、先程言いました海に入ってきた栄養成分というのは、植物プランクトン、動物プランクトン、そして小魚、中くらいの魚というようにどんどん利用されていって、生産につながっていくわけです。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION