消えた灯台守 スコットランド北西方、フラナン諸島アイリーン・モー島の灯台は1899年に設置され、灯台守4人のうち1人が2週間ごとの休暇を取りながら島には常時2人が勤務していた。
1900年12月5日夜、近くを通った船はこの灯台が点灯していないことに気づいた。
嵐に阻まれた補給船が6日遅れで島の東側へ着いたのは26日朝だった。普通なら出迎えるはずの、3人が姿を見せないので、交代員は灯台へ走ったが、どこにも人影はなく、西側桟橋が波で目茶苦茶に壊れているほかに異常を認めず、日誌は13日まで、黒板には15日午前9時の気圧と温度が記されていた。
古くからスコットランドに伝わる海から聞こえる呼び声に誘われたに違いないと他の灯台守や漁師たちは身ぶるいしたという。
船を彼女と呼ぶ理由
「いつでもその周辺には男たちが付きまとい、てんやわんやの大騒ぎが演じられている。ウェスト(中部甲板)が美しく、コルセット(マストのシュラウズ)を付け、紅や白粉(ペイント)の化粧を欠かさず、時にはきらびやかに満身を満船飾で飾り立てることもある。
下半身を水面下に隠し、上半身をあらわに出したその船は、入港すると真っ直ぐに、ボーイ(係留浮標)のところへ行こうとするが、正しくリードするには当を得た男(パイロット)が必要であるとはアメリカの書物による船を女性に見立てた理由である。
またイギリスの詩人は「船はいつも形の良い曲線美を見せてくれ、満天にきらめく星空の下で物想いにふけり、良き伴侶(メイト)を得て荒海を乗り切る」から彼女と呼ぶのだといっている。
(杉浦昭典著から抜粋「海の昔ばなし」)
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