ずいひつ
21
北洋就航(3)
山本 繁夫
岡安 孝男画
6月24日、昨日の夕方接舷後さっそく東京から積んできた空缶揚げおよび母船の缶詰工場でつくられた中味の入った実缶積みの荷役作業がはじまった。荷役作業は母船のデリックを使用するので、本船はハッチを開けてデリックは高くまきあげて固定した。
夜半から風浪が出てきて海は荒れたが荷役作業は続いた。午前4時ごろ本船船首の係船索が波浪とうねりの影響をうけて1本切断した。空缶15,000個揚げ、実缶3,100個積んで午前6時荷役作業を中止した。
荒天に船ゆれるなか働ける若人の声いきいきとして
6月25日、午前4時40分より航走を開始して午前9時30分より漂泊に移る。冷凍船第31宝幸丸がきて漂泊に加わる。今朝も早くから水揚げ作業の順番を待つ独航船が母船のまわりに集まっていた。水産庁の監視船第17京丸も近くに漂泊していた。
6月26日、午前3時ごろセルコーダーが鳴ったので出てみると、各独航船へ指令を出しているうちに間違って本船を呼び出してしまったという。午前3時ごろより航走開始、真針路316度、約40カイリ、次いで270度、約28カイリ航行し、母船より約10カイリ離れて漂泊に移る。
午後1時ごろ母船より2回目の接舷の指示があった。今回は順着け(母船と本船の船首が同じ方向)である。午後2時30分ごろ接舷し荷役作業を開始する。
6月27日、徹夜の荷役作業を続けて、空缶揚げ12,900ケースを終り、午前4時ごろ離舷して漂泊に移る。午前5時ごろ移動をはじめ真針路242度、約35カイリ航走し、午前8時40分ごろ機関を停止して漂泊に移る。午後より濃霧になる。
6月28日、午前3時ごろセルコーダーが鳴ったので応答してみると、独航船の過給器に故障が生じたので溶接の道具を貸してほしいと言ってきた。その後何とか応急修理ができたという連絡があった。濃霧は依然として衰える様子がなく、視界は100?ほどであった。午前5時30分ごろからスタートして真針路322度、約42カイリ航走し漂泊に移る。
夜になっていくらか霧が薄らぎ、視程は1カイリほどきくようになった。
本船は母船より7カイリほど離れてしまったので、約40分航行して母船に近づき漂泊に移る。第31宝幸丸が母船に接舷していた。
6月29日、午前7時ごろ移動のためスタートする。真針路315度、27カイリほど航走して漂泊に移る。午前9時ごろ第31宝幸丸が離舷し帰航の途についた。午後11時ごろ接舷の連絡があった。14時ごろ逆着けに接舷して、第2船艙の実缶積みから荷役作業を開始した。
積荷役は思ったよりはかどって午後9時ごろいったん離舷し、ふたたび順着けに接舷したあと本船の1番船艙から空缶および漁網の揚荷役作業がはじまった。