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海賊とロマン

 海賊とロマンといえば、イギリスのキャプテン・ドレークに触れておかなければなりません。スペインの無敵艦隊を破り、イギリスを救った海の英雄といわれます。
 しかし、ドレークはスペインからみれば、殺してもあきたらぬにっくき海賊でありました。「即刻エル・ドレークを捕らえて朕のまえにひきすえろ!この不敵なイギリス海賊の逮捕を命じてからもはや数年になるというに、なんたる怠慢ぞ。植民地官憲が手薄とあれば、本国の艦隊を出動させろ。大スペイン王国の名誉にかけて、今度という今度はかならず捕らえて、あのしぶとい女王に一泡ふかせてやれ!」
 1579年末のある日、南アメリカのペルー沖で、スペイン王室ご自慢の財宝船カフエゴ号がまたしてもイギリスの海賊船長フランシス・ドレークに拿捕され、積載していた何十万ペソにのぼる財宝が略奪されたという報告が植民地総督からもたらされたとき、国王フェリペニ世が激怒したのも(前出、海事史の舞台)無理のないことでありました。
 そして、その後スペイン国王フェリペがイギリス攻撃に踏み切ったのは、一五八七年、ドレークがスペインのビーゴやカリブ海諸港を襲って大規模な略奪をおこなったからでした。1588年、無敵艦隊来襲の報が伝えられたとき、ドレークはイギリス艦隊の副総司令官に任命されました。敵艦隊がコーンウォールの西端にあらわれたとの急報がもたらされたときドレークはプリマスのザ・ホウ(丘)の上で球戯に興じていたのです。
 彼は大海原を背にしてゆうゆうと競技を続け、終わってからやっと乗船してスペイン艦隊を追ったと伝説は伝えているそうです。

 私掠船

 このドレークの時代、国費で維持される常備海軍はまだまだ未成熟であり、一旦緩急の際には沿岸各港の有力船主の所有船を糾合し、国王直属船を核として艦隊が編成されたのです。私有船の多くが私掠活動を行うために武装していたので、戦闘集団である艦隊を編成するのにあまり手数はかからなかったといいます。私掠船とは敵国の船を襲撃し略奪することを認める「私掠特許状」を国王から与えられた商船のことで、イギリスでは、エリザベス一世の治世が私掠船の全盛期といわれています。
 ドレークのゴールデン・ハインド号はこの私掠船で、彼の世界周航(イギリスで初めて世界一周を成し遂げた)の収益は60万ポンドと公表され、その半分が女王のものとなったのです。それはイギリスの国庫歳入を上回り、女王はこれによって在外負債を精算しただけでなく、レバント会社に投資し、その利益は後年の東インド会社の基礎になったといいます。
 エリザベス女王は、ホーキンスやドレークをはじめとする私掠船船長たちの活躍で国庫の収益を増やしたところがら、海賊女王と呼ばれたといいます(杉浦昭典、海賊キャプテン・ドレーク)。

 

 

 

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