ベートーベン作曲
交響曲第3番変ホ長調『英雄』
ベートーベン(1770から1827)Ludwig van Beetthoven
[作曲年]1802から1804年頃
[作出番号]55
[初演]1805年4月7日 アン・デア・ウィーン劇場
(1804年12月 ロブコヴィッツ候爵邸で非公開初演)
[演奏時間]約52分
この第3番には、広く知られた挿話があります。
ベートーベンがナポレオンの皇帯即位の知らせを耳にして、「ボナパルトヘ/ルードヴィッヒ・ヴァン・ベートーベン」という献辞を記した「交響曲第3番」のスコアの表紙を、引き破ってしまったというものです。
そして、「ある英雄の思い出のために」とベートーベンが明記し、「シンフォニア・エロイカ」と、イタリア語で献辞を書き改めたもので、彼が最も愛着をもっていた交響曲です。
第1楽章
アレグロ・コン・プリオ
チェロによる男性的な第1主題…エロイカ・モチーフといわれている…と木管、弦群による第2主題で提示部は構成され、展開部とコーダは非常に長大なものとなっています。
第2楽章
アダージョ・アッサイ「葬送行進曲」
きわめて厳粛な表情を持った葬送行進曲で、中間部ではフーガが使われており、今日でも国葬の折などにどこの国でもこの楽章が演奏されています。
第3楽章
スケルツォ・アレグロ・ヴィヴァーチェ
弦のスタッカートとオーボエの旋律、そして中間部のトリオではホルンの3重奏が印象的。
第4楽章
アレグロ・モル卜
短く激しいパッセージに続いて、弦のピチカートで主題の低音が示され、32小節を要して、主題全体が構成されています。
この主題はベートーベンが特に愛好したもので、「プロメテウスの創造物」などにも使われており、また、主題以下は3つの変奏曲が続き、最後の変奏は複合変奏で壮麗なクライマックスを築き、全曲を閉じます。
この変奏曲の中でソナタ形式、フーガが用いられる等、この楽章は変奏曲形式、ソナタ形式、フーガの3形式が組合わされていることになり、この構成は晩年の大傑作「第9交響曲」のフィナーレの下敷きになっております。
全員合唱
(夕焼けこやけ・七つの子・ふるさと)
大阪フィルハーモニー交響楽団
OSAKA PHILHARMONIC ORCHESTRA
1997年(平成9年)創立50年を迎えた大阪フィルハーモニー交響楽団は、1947年(昭和22年)「関西交響楽団」という名称で発足。
1960年(昭和35年)に「大阪フィルハーモニー交響楽団」という現在の名称になった。
そして創立以来一貫して常任指揮者を朝比奈隆が務め、個性と魅力溢れるオーケストラとして親しまれている。
指揮者には朝比奈隆以外ではこれまで、遠山信二、外山雄三、秋山和慶、手塚幸紀、大友直人等の名指揮者達と専属契約を結んだ。
大阪フィルの活動範囲は、関西はもとより日本全国に及び、年間100回以上の演奏会を行っており、定期演奏会は大阪フェスティバルホールで年10回開催している。
また、海外演奏旅行は、ヨーロッパで3度行ったのをはじめ、北米、韓国、台湾でも行い、各地で最高の賛辞を得、日本を代表するオーケストラという評価を確立した。
レコーディング活動も活発で、ブラームスとブルックナーの交響曲全集はそれぞれ2回録音、ベートーベン交響曲全集は5回録音するなど、日本で一番多くのレコード・CDを出しているオーケストラである。