昭和22年地元の燦星軽音楽団を組織し音楽活動を展開、25年より諏訪大社の神楽を復元し御諏訪太鼓流家元7代目宗家となる。オリジナルの作曲は各地域の発展と日本太鼓振興に大いに役立ち、全日本、さらに国際的にも鼓界の第一人者としての呼び名が高い。昭和28年、伝統の継承と太鼓の音楽的発展を目指して、御諏訪太鼓保存会を結成し、より多くの人々の参加を呼び掛ける。以来、日本の風土から生まれた和太鼓の伝統的な大小様々な音色の異なった太鼓を集めて、オーケストラ方式による独創的な組太鼓スタイル(複式複打法)を創案完成し、新次元の大鼓音楽として世界に冠たる民俗芸能を作り上げ全国各地の公演と指導、また、たび重なる国際公演に絶賛を博し国際親善文化交流に大きく貢献し、日本太鼓の音楽的確立とその位置づけをはかり、昭和53年天覧のやまびこ国体開会式500人の揃い打ちの作曲指揮、さらに全日本太鼓連盟創立の音頭取りとして見事に全国太鼓連200団体の結集をはかりその代表世話人であり、(財)日本音楽財団の常任理事、全日本郷土芸能協会理事としても活躍中である。昭和51年に御諏訪太鼓興業(有)を設立、昭和54年に(有)岡諏訪響太鼓店を設立、昭和57年に御諏訪太鼓学園設立、平成2年世界の太鼓博物館を開館する。
昭和25年頃より幾多の太鼓曲を作曲、各地で公演、数多くのテレビ出演をなし、近年ドラムの王ジョージ川口VS日本太鼓の雄小口大八とのエキサイティングドラムサミット『阿修羅』(小口大八作曲)の競演は内外で絶賛を博し又サキソフォンの名手・野田僚、シンセサイザー・喜多郎、藤掛広幸、琴・高野喜長、マリンバ・藤井むつ子、印度舞踊・シャクティー、などもこの曲の合奏、共演をなし、笛・藤田正典、津軽三味線・本田林松寿、尺八・三橋貴風、大由鬼山と共演多数、NHK交響楽団、カナダKDラング(歌手)などとの共演も高い評価を得て祭り太鼓から音楽太鼓への新境地を開いている。
なお、450チーム(平成9年4月現在)に及ぶ太鼓連を指導育成し国内においては北海道から沖縄まで、海外においてはアメリカ、サンフランシスコを始め全米に8チーム、カナダにはトロント、他5チーム、その他シンガポール・クエートなど全世界に御諏訪太鼓指導チームを持ち、弟子の数7,000名を数えている。
著書「日本の太鼓」昭和55年「日本太鼓基本打法」昭和56年「天鼓」昭和61年「複式複打法教本」平成6年10月あり。
'98長野オリンピック閉会式「日本の祭り」に出演、絶賛の2,000人揃い打ち作曲指揮「勇駒」「信濃田楽」「万岳のひびき」平成10年2月22日。なお、現在、財団法人日本太鼓連盟の副会長として活躍している。