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SPORTS FOR ALL NEWS

スポーツ・フォア・オール ニュース

1998 SEP.

vol.26

 

SSF世界スポーツフォトコンテスト'98

SSFアワード

RICHARD D. SCHEMIDT(U.S.A)

"Senior Games"

 

転換期を迎えた「学校教育」

 

2002年から学校の完全週五日制が始まる。教育課程審議会は教科内容の「三割減」を打ち出した。体育授業が減らされれば、その分が土、日連休の運動部課外活動(部活)にかぶさって行くのか。その前にいま、中学、高校のスポーツ現場では、少子化など社会生活の変化に伴うさまざまな「地殻変動」が起きている。足元が揺らいでうろたえているのは指導する先生たちである。

 

朝日新聞編集委員

大高宏元

 

高体連とJリーグ

 

ことし4月、W杯の日韓サッカー戦で、Jリーグ清水エスパルスのユース所属の市川大祐がデビューしたのは大きなニュースだった。静岡・清水工三年で17歳10カ月は、日本の国際Aマッチ出場の最年少記録になった。Jリーグ関係者は「ようやくその日が来た」と喜んだが、高校スポーツを支配する全国高校体育連盟(高体連)関係者にはショックだった。

6年前、ヨーロッパのスポーツクラブを理想に掲げてJリーグが発足。各チームは選手養成の下部組織であるユースチームを持った。対象はもちろん高校生らジュニア選手だ。ところが、高体連はこのとき「サッカー部に所属しない選手の大会出場は認めない」とユース選手を締め出した。

たとえJリーグの下部とはいえ、「プロ」はだめというのは表向きの理由で、選手の二重登録を防ぐ“独占主義”にほかならない。

だが、ユース組織は着々と地歩を築いてきた。いまではユース育ちのJリーグ選手は珍しくもない。2年後のシドニー五輪を目標とするU21(21歳以下)日本代表候補の30人のうち「高体連登録」とかかわらなかったユース出身が8人もいる。

学校対抗で勝利主義にこだわる高校サッカーに比べると、ユースは才能主義。自分の力次第でより高いレベルに昇格が可能だし、レベルに応じた専門コーチの指導を受けることができる。そこには自由がある。市川はそのシンボルということになる。

日本ではスポーツはお上から「与えられるもの」だった。明治時代、外来スポーツのほとんどが学校や学生の手で広められてきた歴史の影響もあるが、スポーツが政府の「文教政策」に取りこまれ、「教育の一環」として育まれてきた。

その体質がいまもって変わらないのは、同民もまたそういうものだと受け止めてきたからではないか。だが、スポーツは本来、自ら楽しみを味わいながら自分たちの手で「創造する」もののはずである。教育の枠に縛りつけられた状態では、新しい展望は生まれない。

サッカーでは昨年、日本サッカー協会と高体連の話し合いで高校サッカー部の登録選手でも協会の強化指定選手に選ばれると、最寄りのJリーグに登録して練習や試合出場もできることになった。

ただしその数、わずかに10人。しかも、高体連はJリーグのユース選手が逆に高校サッカー部に登録するのを認めようとせず、いぜんとして閉鎖状態は続く。とはいえ、彼ら「選ばれた10人」はユースと高校双方の情報交換のパイプ役になっているという。やがては壁を崩す突破口になるかもしれない。

 

部活における好調の悩み

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(出典:文部省「運動部活動のあり方に関する調査研究」1997.12.)

 

学校体育が抱える悩み

 

一方、インターハイに続いて8月17日から25日まで東北各県で開かれた全国中学校体育大会は15競技に役員、選手延べ2万3000人が参加したが、今年も各競技では教師ではない部外コーチがベンチで指揮をとるケースが目立った。

全国1万1000校、460万人が加盟(登録)するマンモス団体の財団法人日本中学校体育連盟(中体連)は今年財団になって十周年だが、財源不足とともに少子化による部活の沈滞が一番の悩みだ。少子化はそのまま、学校の「スリム化」につながり、従来の部活の形態を根底から揺さぶっているのだ。

入部率の低下、新人教師の採用が減って「教員室の高齢化」が進むばかり。若くて元気がよい先生が少なくなり、部活顧問(指導者)が足りず、活気を失って自然に廃部へ追い込まれる。

埼玉県中体連の報告では、94年度から97年度までわずか3年間で同県内の男女の558もの運動部が廃部になった。県内の422校の公立中学校で1校当たり「1.3」の割合で廃部が進んでいる勘定だ。埼玉県に限らず、全国的な現象だという。

この機に、文相の諮問機関である保健体育審議会が昨年九月の答申で全国の中学校区を基地にした「総合型地域スポーツクラブ」構想を打ち出したのは時宜にかなう現実的なアイデアだった。

全国の中学校には体育館、グラウンド、プールの“三点セット”が揃っている。学校と地元住民の協力により児童・生徒と大人のスポーツ愛好者がいっしょに参加できるスポーツ拠点を確保しようというのだ。従来の「学校開放」から学校の「共同利用」へのシフト変更である。

いわば、全国に1万1000ヶ所もある既存施設を利用したスポーツの「コミュニティゾーン」づくりのコンセプトは、実は26年も前の1972年(昭和47年)の保体審答中で一度提示されているのだ。

つまり、日本の学校体育施設は欧米にも優る充実ぶりだから、欧米型のスポーツクラブを新設することを考えればはるかに安上がりで合理的な戦略になる……という意見。

これに対し、当時、ひと握りの「選手養成」よりも「国民スポーツ」推進を政府に訴えていたスポーツ評論家の川本信正さん(故人)が「スポーツの施策が国家による行政主導型から住民主導型へ転換されない限り、コミュニティスポーツ構想も空手形に終わるであろう」と指摘したのを覚えている。

事実はまさしく、指摘通り。そうして、今回の学校利用のスポーツクラブ構想の場合もまた、学校開放にからむ法律の「教育に支障のない範囲で」という条文がいざ実現するときの重い“足かせ”になるのだ、とはほかならぬ文部官僚の説明である。

つまるところ、国民として「与えられるもの」に甘んじてきたツケだと思うのだが、どうだろう。

 

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SSF世界スポーツフォト

コンテスト'95入選作/高沢礼男

 

 

 

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