噴火災害により被害を受けた水無川流域は、現在復興工事も急ピッチであり、噴火活動により出現した「平成新山」を中心に火山博物館等の建設を含む火山観光化を目指している。
〜歴史と火山観光のまち〜
本圏域は、長崎県南部に位置する島原半島の有明海に面した地域で島原市を中心とする一市・一一町で構成され、総面積三一六・五四km2、人口一三一、三三四人の、全市町が美しい海岸線を有する地域です。
気象条件は、年平均気温が約一六度、年間降雨量は二、〇〇〇mm3前後で、温暖な内海性の気候と肥沃な土地により、長崎県下の中核的な農耕地帯をなしており、また水産業についても有明海沿岸域等で多種多様な漁業が展開されています。
圏域の中心である島原市の歴史は、一六一八年(元和四年)松倉重政の島原城築城着手に始まり七年余りの歳月をかけて完成した城は、安土桃山様式の白亜の天守閣や櫓が連なる華麗な名城であり、七万石の城下町は島原半島の中枢的位置を占めました。明治以降においても半島における経済、文化、観光の拠点として発展を続け、昭和一五年四月には全国で一五九番目の市として島原市が誕生し現在に至っています。
また、島原市は名水百選に選ばれ、街の至るところで清らかな水が湧き出していて、市内だけでも四〇か所以上の湧水源を持つ「鯉の泳ぐまち、水の都」として、四季を通じて観光客が訪れています。
平成二年一一月一七日、雲仙岳の主峰である普賢岳が突如噴火し、翌平成三年六月三日には大規模火砕流により多くの尊い人命が失われ、その後も幾度となく発生した火砕流や土石流災害は家屋や農作物に甚大な被害を与えました。しかし、平成八年六月三日、噴火活動の終息宣言が出されるとともに、災害復興は急速に進展し、今や普賢岳の溶岩ドームは、日本で一番新しい山、「平成新山」と命名され、国内では他に類を見ない雄大な自然の営みを間近に感じる観光の目玉となっています。
当広域消防本部は昭和四五年に発足し、現在一本部・一署・五分署、職員一四一名が、管内一市一一町の消防団員とともに地域住民の安全確保に全力をあげています。
鳥原地域広域市町村圏組合消防本部
消防長 丸田 源二