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昭和57年5月医者に会い治りますかと聞いた処直りませんと言われました。診断書を書いてほしいと頼むと、昭和39年3月28日に障害の認定で発作は抑制されるが、知的障害性格変化著明言語障害のため疎通が悪いと記されています。措置入院ですので金はいりませんでした。障害年金をもらってからは外されました。病院にひまわり会がありいかないかと看護婦に叱かられるので参加しました。

参加して、くどきの場に替り、今日1日胸につかえている事を云ってきたので楽しく安心して寝られると云って母は、毎月1回は面接に行きました。

昭和48年地区の家族会が出来ました。母はそこに入りました。

私は、40才頃から結核を患い、2度の大手術を受け療養で妹の面倒を見にいけません。兄弟姉妹は、恐くて側にいきませんでした。

私は、この大病で死ぬとは思いませんでしたが、生きる事はむずかしいと感じました。昭和51年頃家族会が再三にわたり勧誘に来られました。母が老いていくので母に替って妹の面倒を見てくれる子は私しかいないと思ったのでしょうが、直接云えなかったのです。そこで、私は、母に長い間子供の面倒を見てくれて有難う。これからは、僕が面倒を見るからゆっくり休んで長生きして下さいと云いました。母に育てられ大病した時支えられましたし、また家内の力強い応援がありました。

家族会に入った頃、会社は理解がなかったのです。その会社にノイローゼ神経衰弱の障害者もいました。私は、衛生管理者を兼務しておりましたので、この人一寸おかしいと思いますとパチンコに誘いストレスを解消してから終電車で帰った経験もあります。

妹をみるようになりましたが労務の仕事で会社の重役と顔を合わせますと先が見え、この様な妹がいると駄目になると思い早く死んでくれとそればかりでしたが、自分を振り返って見ると母に育てられ、大病に皆様に支えられて、軍隊へ入り戦場を4年もかけ巡って生きている事が有り難い。妹も私と血を分けた人間ですから、今病気と戦っていて他人にどう言われようと耳に入れず生きていく「育もう生きる力」を出しているのです。今では、発作も出ず病院の中庭の草むしり、毛糸の縫物をやっています。やはり、人間は得意があるのです。恐らく母に小さい時から針をもたせた編み物を教えたのでしょう。女の子ですね、生きたい気持ちが判ります。

親がなくなったら兄弟たちが面倒を見、その子、孫さんにも障害者を理解していただきたい。

我々も明日精神障害者になるかも削りません。私は、子供、子供の主人孫に病気を認識させています。かくしません。

これからの家族会は、人生を出来る限り長生きし楽しい人生でありたい。そして、お世話になった皆様に恩返しし、他人のためでなく自分の為になる様な家族会にしたいと考えて勉強しましょう。

生命を大切に、人生を楽しく

 

 

 

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