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すなわち60年代半ばの経済危機は、食料輸入が外貨制約を強めるという形で50年代末に既に準備されていたといえよう。そして、農業危機を契機とする外貨危機により経済の破綻が露呈することになる。これは、穀物輸入による外貨制約の深刻化という外的罠にインドが陥ったことを示している。

インドが「内的罠」ではなく「外的罠」に陥るにいたったのは、食料価格の安定を政策上の至上命題とするインド的文脈に理由を求めることができる。不平等度の高い私的所有権構造に抜本的改革を施すことなくきたインドでは、貧困は最も深刻な政策対象である。インドでは、貧困は貧困線(poverty line)という概念で数量化されている。貧困線は生存に必要な1日当たり摂取カロリー(農村では成人男子で2,400カロリー、都市では2,100カロリー)を賄いうる支出で定義され、それに満たない支出の家計を貧困層と呼んでいる。貧困層の比率は1960/61年度で55.2%そして1983/84年でも37.4%にもなるが、このことは依然としてインド経済がリカードの成長の罠に捕らわれやすい状況にあることを示唆している。食料価格の上昇への対応手段をもっとも欠く貧困層の生存を保証するためには、穀物需給のインバランスには価格調整ではなく輸入による数量調整で対応せざるをえないことになる。さらに利害関係の異なる多様な社会階層と地域で構成され、選挙制度が定着しているインドでは、ポピュリスト的政策運営が採用されやすくなる。こうした環境では、穀物価格の上昇は極力回避されるべき事態である。事実、経験法則として、インドではインフレ率が10%を越すと政治危機が発生するという指摘もある。こうした事情が、インド経済を内的罠ではなく外的罠に陥らせることになった。

 

1-3 工業化の停滞:失われた10年

60年代半ばの農業危機は、脆弱な開発資金調達基盤のままで輸入代替工業化を遂行しようとしたインドの工業化戦略の矛盾を表面化させた。それは、旱害という短期的な危機にとどまらずに、「失われた10年」ともいうべき長期的な経済危機を招来することになった。第1-2表は、製造業部門において付加価値生産額の大きい主要な9部門の実質成長率の変化を、失われた10年とその前後の時期について示している。

 

 

 

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