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21世紀を前にした中国の水資源

 

東京大学大学院総合文化研究科

客員教授 ジェームズ・E・ニッカム

 

はじめに

 

私たちは21世紀、そして3番目の1000年期に急ぎ足で入ろうとしているが、これは実際にはコンピューターを除いて、本質的な意味を持たない想像的な区切りに過ぎない。しかしこの区切りは、特に私たちが知る過去と新たな世代が直面しなければならない未来について思いをめぐらすにはよい機会である。なかでも過去50年は、中国とインドにとって政治的・経済的・民主的、そして資源の使用と濫用の点で、たいへん劇的な期間であった。今後の50年もこれと同様、またはこれ以上の劇的な状況が予想されるが、このドラマはまったく異なる規制のもとで進行し、ハッピーエンドとなるか悲劇となるかは予測不可能である。

それではここで水資源の話に移ろう。過去50年の農業・産業・エネルギー・都市化の発展は、市場秩序の制約をほとんど受けない水資源の使用の増加を前提にしている。水・環境・資金的な資源の限界が厳しくなることが、来る数十年の開発の性質を変えるであろうと考えられる。さらに、1998年夏に中国と南アジアを襲った洪水は、20世紀に未解決のまま残された水資源の問題が、水不足だけでないことを私たちに示している。(1)

事実、水資源は恵みをもたらすが、破壊することもある。水資源は不足時だけでなく、超過時にも、そして最初の使用者が経済価値が少ない目的のために水を汚したり無駄使いする場合にも、開発を妨げる。さらに管理が複雑化することにより、これらの異なる問題が互いに影響を及ぼし合う。たとえば、水資源が不足しているのに無駄にされている場合は、汚染につながりやすい。河の流れがシルト(浮遊粒子)を海まで運ばないと、川底が上がり、今までより流量が少なくなり、かつてない洪水を引き起こしてしまうこともある。

水資源のさまざまな側面は、中国とインドにおける経済の歴史を制約してきた。この両国は、その存在理由に安定してはいるが窮屈で前近代的な官僚制度を与えることで、この地域の政治的発展を阻害してきた、とまで主張する人もいる。(2)20世紀後半の政治的・技術的改革は、人口増による需要を満たすために水資源を管理することがついに可能になり、これが主に国家が補助するプロジェクト・ベースの公共事業によってなされるであろうという希望を両国にもたらした。しかし世界のほとんどの国々では、こうした戦略には見直しが必要であるとのはっきりとした兆候が現れているのである。

本書ではまず始めに、中国とインドについて、両国の主な関心事である現在の供給量の状況を比較する。その後、部門ごとの水資源利用と現時点での21世紀予想について述べる。最後に、すでにストレスが現れつつある2点、都市の水資源供給と黄河について触れる。

 

 

 

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