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第2章 中国の人口

 

吉林大学東北亜研究院人口研究所

副所長 尹豪

 

1. 人口政策・計画生育政策

 

中国の人口政策及び計画生育政策は、他の開発途上国によく見られるような家族計画とは異なり、徹底した人口抑制と人口管理政策という性格を持っている。

1970年代初めから中国では本格的な人口抑制が行なわれ、持続的にその効果をあげている。基本国策となっている人口政策の基本内容は、人口の数量を抑制し、人口の素質を向上させることである。中国の人口抑制政策は、主として中央から地方の末端レベルに至る計画生育機構という行政組織のネットワークを通して実施されているのが大きな特徴であり、他の国では類をみないものである。

今まで、中国では社会主義社会の出産問題において、社会の全体利益と個人及び家庭の利益が一致しているという理念のもとで、社会全範囲において出産の計画化を図って、「計画生育」という中国独特の人口政策を推し進めてきた。中国の計画生育政策は、出産抑制、晩婚、晩育、少産、優生がその主な内容となっており、その目的は計画的に人口の増加を抑制しようとするものである。

中国の人口政策は模索段階を経て、挫折を繰り返し、形を整えて実施され、効果を挙げるまでに、実に30年以上の時間が流れている。

建国以来の中国の人口政策を顧みれば、1950年代には計画生育が実施されておらず、ただ人口抑制思想が提起され、模索と準備が為されていた。1960年代前半になって人口政策が提起され、初期の施行に踏み出したが、文化大革命の始まりとともに人口政策の推進は中断されてしまった。1970年代初め以来、人口政策が形として現れ、次第に完成され、定着し、計画生育を通して広範な実施と効果を見るに至っている。

1953年から大規模な経済建設が始まったが、その年に行なわれた建国後最初の人口センサスの結果、人口急増が識者たちの関心を呼び起こし、人口抑制の声が出始めた。それ以来の数年間は人口問題への関心から人口抑制の必要性が認識され、人口抑制への努力に踏み出そうとしていたのである。しかし、政治情勢の変化により、1958年以降人口抑制の主張は弾圧され、多くの識者たちが被害をうける悲劇が起こってしまう。その代表的な人物があの有名な馬寅初であった。結局、政治的過ちにより、人口問題への認識と人口抑制への努力が挫折してしまい、軌道に乗りつつあった経済発展も大きな打撃を蒙るようになった。

 

 

 

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