たとえば、もし、自分に障害があったら?と考えたとき、現在の人生はなかっただろうと、多くの人が悲観的に考えてしまうはずだ。しかし、今回ご登場の梶寿美子さん、全盲、乳がんとの闘病と厳しいハンディのある人生をこれまで過ごしているが、思い描いたことは必ずと言っていいほど、実現させてきた。山あり、谷ありの人生、「負けず嫌いだった」とご自身が語る「生き方」とは?
京都駅から奈良線に乗り換え一つ目の東福寺。駅から二〜三分程歩いた辺りに、梶さんの自宅がある。
玄関口の上部に「箏アンサンブル プリマルーチェ」という看板が掲げられていた。
盲学校時代の恩師が梶さんのために作ってくれた曲名にあやかり、自身の箏曲教室に名付けたのだそうだが、「プリマルーチェ」のプリマは「第一の」、ルーチェは「光」という意味だとか。夜が明ける時に最初に地面を照らす光を表す言葉であり、生徒とも対等な仲間として切磋琢磨して、次第に大きな太陽に成長していきたいという梶さんの願いが込められている。
小学校二年生まで目が見えないハンディはそれほど感じなかった
梶さんは昭和二二年、京都市内の千本出水で生まれた。先天性小眼球のため、光の明暗は感じるものの生まれながらにして目が見えない。しかし彼女は言う。