堀田 「グループハウスさくら」をつくられて、この一二月で丸八年になられるとか。ようやく日本でもグループホームという言葉が広まってきましたが、当時、周囲の方の反応はいかがでしたか?
小川 兄姉を含めでほとんどが反対でした(笑)。
堀田 そうでしょうねえ(笑)。それでも初志貫徹された。ものすごい情熱だと思うんですが、そもそもいつ頃からお考えだったんですか?
小川 漠然と少しずつという感じです。私は一二人兄弟の末っ子でにぎやかな大家族の中で育ったんです。結婚して子供を三人生みましたが、仲間同士で支え合って働きながら育ててきました。そんな背景もあって、いずれ年を取ったら、私自身、気の合った仲間と一緒に暮らしたいなと考えていたんです。
堀田 みんなで助け合って暮らす経験が土壌にあったと。
小川 そうですね。生まれたのは函館なんですが父の仕事の関係で小学校の時に東京に引っ越してきました。高校を卒業して今のNTTに一三年ほど勤めたんですが、職場の連帯感がとても強いところで夜勤や泊まり業務明けの休みには交替で子供たちの面倒見たり。子供たちも冬はスキー学校、夏は林間学校と楽しませてもらって、今でも付き合いが続いてるくらいなんですよ。
堀田 それはいいですね。今は少子化の時代だし、なかなか大勢の中で暮らしたり楽しむ経験が持てないですから。
小川 そのうちに母が痴呆になって、八年間介護したんです。病院のお世話にもなりましたが、兄姉が多いとはいえ、やはりとても苦労しました。自分を振り返れば子供三人、これからの高齢者は大変な状況になるぞと。ちょうどその