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も「恥ずべきこと」として非常に自己抑制的にならざるを得ないものとしてあったことを直視しなければならない。先に答案を引用させてもらった学生の感性も「お役人には本音を言えないのだな」と的確にその辺のニュアンスをキャッチしている。(二〇歳前後の若い世代にさえ、行政サービスはそのような抑制的なイメージでとらえられていることに、今さらながら感じ入る。これまでの福祉に付随するスティグマ『社会的汚名』は、実に牢固たるものであった。)

わが市民の社会的介護サービスヘのニーズは、親戚縁者を含めた「家族」への遠慮、そしてその外側にある「世間体」という二重のバリアーを突き破り、そしてさらに「福祉の世話になる」というスティグマを克服することによって、ようやく社会的サービスへの要求になったのである。しかもこのような何重もの抑圧的な壁を克服して、社会的サービスにたどりついても、1]の例のように不条理なことに、提供されるサービスは余りにも過少なのである。増してやその中身のサービスの質に対する苦情など出せようはずもない。積年にわたる「租税あってサービスなし」という事態こそが、問題の核心にある。

介護保険制度はまず保険料という拠出に対する反対給付という、わかりやすい権利としてサービスを求めやすくし、市民からのサービス利用の構造を大きく転換した。サービス申請に際しても抵抗感の強かった所得調査も家族調査もなくした。要するに医療のように、気兼ねなく社会サービスを求めることのできる方式に変えたのである。ここではじめて本当のニーズの量が顕在化する。つまり制度が実施されてからこそ、これまでの行政の怠慢や抑止的なサービスシステムの欠陥が、そこではじめてあらわに浮き彫りになる。

介護保険のもっとも重要な議論のポイントは、実は財源のための租税方式か社会保険方式かにあったのではない。本当の狙いはこのように厚く塗り込められた、市民間の介護ニーズをいかにして解放するかにあった。いかにして一家心中に追い込まれる前に、介護サービスを社会に、家族がそしてできれば高齢者自身が「気軽に請求」できるシステムをつくれるかにあった。財源に租税を半分も入れていて、あえてこれを社会保険「方式」で運営することの最大の意義はそこにあるのである。

高齢者介護問題とは、中央および地方の過去の貧困な政治と行政のツケが溜まり溜まったものである。つまり我々は「寝たきり老人ゼロ」をめざす大事業を新規に開始しようとする段階で、いわばすでに膨大な累積債務を背負っているようなものなのだ。そしてこれまでは「金がないので」と門前払いをくわされ、取り立てを諦めさせられてきたので、その実数すら掴めていなかった眠れる債権者に、いよいよ皆様への借金を返す用意ができましたと広報することによって、どっと債権者が現れるのは当然である。ここでようやく債権者の数がまずははっきりとわかるし、どれくらいの返済資金を準備すればよいかも見えてくるというわけである。ほっておくとこの借金には利息がついて膨れあがる。対策は急務であって、まさに待ったなし。あるいはもう遅きに失しているといってよいくらいだ。

 

 

 

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