このようなトランピング体系も二度にわたる世界大戦によって終焉を迎えた。それはトランプ達を社会的にも経済的にも支えてきた手工業組合とギルドの機能、必要性が低下し、地理的にも労働供給地が点在していたのと変わって都市化が進むことで町から町へ移動するということも減少したからである。それに呼応する形でトランプ向けの宿泊施設も衰退を迎え*7、さらに大不況、失業者の増大という環境の下、比較的保護されていたトランピング体系は他の労働組合からの厳しい批判を浴びるのであった。その後工場制機械工業が手工業を制覇する中で、トランプ達は労働や修行を通じて「よろこび」を得るよりもまず彼らの生活、生き残りを計らなければならず、熟練労働者から未熟練労働者、単純労働者へと変容していった。その結果トランピング旅行者は社会の逸脱者、少年犯罪を引き起こしやすい者として見なされ始めた。この様子をAdlerは次のように見た。
…彼らの移動は社会問題として見なされ、かつ彼らの動機は心理学用語によるワンダーラスト(wander lust;放浪癖、旅行熱)と解釈された。(中略)多くの若者は(トランプ旅行による)旅行経験で得た達成感の中で失いつつある職業的満足感を埋め合わせようとしているのは明白である。今日の若い人々によるトランプ旅行は労働による移住や修行というよりも純粋に観光という機能を果たしている。*8
*7 詳しくはChristopher, H., The Grand Tour, London, Weidenfeld & Nicolson, 1969. 参照。
*8 Adler, J., op. cit., pp.341-352.
このように初期の動機からは乖離し、トランピング旅行者は終焉したのである。
戦後になってワーキング・ホリデーという制度が発足した。それは観光ビザでは通常、訪問国で労働につくことが許可されていないが、青少年に限って働きながらの観光旅行を認めようとする制度である。それによって再び観光と労働は接点を持ったのである。その意義はトランピングに通じるものがある。そして今日バックパッカーはこのワーキング・ホリデーによって訪問地での単純作業を通じて、文化交流を深め、かつ経済的にも果物の収穫期に労働を提供するといったような単純作業を彼らが担うことで現地でも重要な労働力と見なされているのである。トランピングから派生したバックパッカーの特徴は、かつて失われつつあった、労働を通じて達成感を見い出そうとする「達成型(achiever)*9」ということができる。
*9 Loker, L., op. cit., pp.8-12.