●オスマン・トルコ帝国の時代(16世紀初頭〜20世紀初頭)
1516年、オスマン・トルコはシリアを侵略、ダマスカスは陥落した。シリアは3地域(ダマスカス、トリポリ、アレッポ)に分割され、スレイマン大帝の時代には帝国は最大版図を得、首都コンスタンティノープルのビザンティン様式を模した宮殿、モスク、マドラサ(イスラム神学校)、隊商宿、公衆浴場等がシリアの都市に建設された。トルコ支配階級の長年にわたる奢侈な生活や被支配者への抑圧は徐々に、権力を弱体化させていった。
1831年、トルコ・ロシア戦争はオスマン帝国を実質的に弱体化させ、シリアはエジプトのメフメット・アリにより征服された後、ヨーロッパ列強による第一次大戦に巻き込まれていった。
●第一次大戦から独立まで(1914〜1946年)
19世紀後半からシリアを中心としたアラブ民族の解放を求める民族主義が台頭し、第一次大戦中の「アラブの反乱」の結果、シリアはオスマン・トルコから独立し、1918年にダマスカスにおいてメッカの太守フセインの三男ファイサルを首班とする「アラブ政府」の樹立が宣言された。しかし、2年後には第二次大戦中に結ばれた英仏間の秘密協定の結果、フランスの委任統治下におかれ、「シリア・アラブ共和国」としての独立は第二次大戦直後の1946年となった。
●独立以降(1947年〜)
独立直後のパレスティナ戦争(第一次中東戦争)の敗北も影響して、50年代末までクーデターの相次ぐ不安定な政情が続いた。この間、革新政党として台頭してきたバース党は、他の革新諸政党及び軍部と協力して1958年にはシリアとエジプトの統合を実現し、「アラブ連合共和国」が成立したが、統合は2年あまりで崩壊した。その後1963年にはバース党が軍部の支援によって単独政権を樹立。更に、1970年にはバース党内の激しい権力闘争を勝ち抜いたアサド中将(当時)が実権を掌握し、以後1973年の第4次中東戦争を経て現在に至るまで大統領として統治している。なお、この間、1967年の第3次中東戦争において、シリアはイスラエルとの交戦の結果南西部のゴラン高原を占領される事になった。