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(2) シリアの歴史

●新石器時代〜前期青銅器時代(5000〜2000前頃)

シリア地域には、紀元前3千年期頃から始まって5千年の長きにわたってアラブ人が住み続けている。およそ、5千年前アラビアの砂漠地域からセム系遊牧民のアモル人が徐々に移動を始め、この地域に定住した。やがてアッカドのサルゴン王が力を得て、バビロニアからアナトリアにまたがる王国を樹立した。王の3代後を継いだナラム=シンは小アジアからキプロスにまでその版図を広げて、勢力を誇った。

●中期青銅器時代〜鉄器時代(2000〜600前頃)

紀元前2千年期頃、フェニキア人(カナーン人)は他地域との交易で富を蓄え、地中海岸のアルワード島やウガリット等の地域を中心に交易都市を次々と建設し、海洋帝国を作り上げた。小アジアに出現し、シリア地域を悩ましていた鉄の民ヒッタイト王国も謎の海洋民族に滅ぼされ(1200B.C.頃)、ダマスカス、ハマ、アレッポ、タドモル(現在のパルミラ)には新たにアラビアから移住してきたアラム人(セム系)によって、幾つかの王国が築かれた。

●ペルシア帝国時代(前600頃〜前100頃)

前539年ごろ、アケメネス朝ペルシアが興り新バビロニアを駆逐して帝国を建設した。シリアおよび地中海岸地域もペルシアの支配を受けることになった。その後、マケドニアの王アレクサンダーの東征により、戦場となったシリアは混乱の中、北はセレウコス朝、南はエジプトのプトレマイオス朝にと南北に分割された。紀元前2世紀末、セレウコス朝はダマスカスから南の地域をエジプトから奪い返したが、内乱により衰え、やがて西からの力に滅ぼされることになる。

●ローマ帝国時代

ローマ属国になった後も、シリアはその自由を享受できた。東方の大国ササン朝ペルシャに対する緩衝地帯の役割を担ったシリアは、ローマに加担をしながらも、アラブ的な政治的駆け引きを駆使していった。紀元後260年頃、パルミラの女王ゼノビアはシリア帝国の実現に向けてローマに反抗を試みたが、当時のローマ皇帝ディオクレチアヌスにより捕らえられローマに送られたと伝えられている。

●イスラムの台頭(7世紀後半〜15世紀末)

7世紀後半、アラビア半島に興ったイスラムの嵐は、当時の世界に大きな変革をもたらすことになった。622年、迫害から逃れてメディナで自ら予言者の名乗りを上げたマホメットは、彼に従うアラブの戦士とともに、聖戦により領土を拡大していく。639年、2代目カリフ・オマールの時代にはアフリカ北部を征服し、642年ササン朝ペルシアも征服して一大帝国を築き上げた。

カリフの後継争いの中、ムアウイアはウマイア朝を興した(642年)後、14代続くウマイア朝カリフは、750年にアッバース朝にとって変わられるまでの90年間にアラビア半島全域、メソポタミアを中心に西はイベリア半島、北アフリカから東はアフガニスタンにまで及ぶ帝国を建設した。帝国内では、ギリシャ語、ラテン語、ペルシア語に代わってアラビア語が公用語として用いられ、コーランを刻んだ金貨、銀貨も鋳造された。大規模な水道道路、灌漑水路の建設等の公共工事も行われた。750年、アブル・アッバースはウマイア朝を倒し、アッバース朝を樹立して都をバグダッドに移した。8世紀後半から9世紀初期にかけて隆盛を見たが、その後政権が弱体化し、各地にイスラム王朝が乱立することとなった。1096年から始まった聖地エルサレム奪回を目指す十字軍は、200年の間計4回にわたりシリアの地中海岸地域に侵略し、猛威を振るった。

 

 

 

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