(3) カマン、中近東文化センター付属アナトリア考古学研究所
アンカラから南東に約80km、車でおよそ2時間半のトルコ中央部アナトリア高原カマン市の郊外に上記研究所がある。
(財)中近東文化センターは、中近東の歴史的文化を専門的に研究する場、その成果を公開する機関として、三笠宮崇仁親王殿下の発意のもと、故出光佐三氏の全面的な支援により、1979年10月東京三鷹に創設された。その主な研究事業の一つとして1985年以来14年間トルコ中央部クルシェヒール県で古代アナトリアのカマン・カレホユッタ遺跡の発掘調査を行い、内外の学界から注目される成果をあげている。
アナトリア考古学研究所では大村幸弘所長御夫妻を中心に隊員の皆さん75人(内半数が日本人)が発掘及び調査研究に取り組んでいる。所長御夫妻を含めて5人が当初より14年間ここの発掘に携わっており、こうした例は日本では珍しい。
ここでの調査目的は2点あり、一つはカマン・カレホユッタで確認している文化の中央アナトリアにおける範囲を明らかにすること、もう一点は中央アナトリアの遺跡(遺丘)を確認することであるという。
鉄の技術を持ったヒッタイト民族の遺跡を中心に据えて、銅石器、前期青銅器、中期青銅器、後期青銅器、鉄器、それ以降へとつながる文化編年を明らかにすることであるという。
10年以上続く息長い調査では、土中から掘り出される土器や、石器のかけら、人骨、獣骨のすべてにわたって、分類され、記録され、保管される地道な作業が毎日休むことなく繰り返されていく。研究所の研究棟横のスペースには一抱えほどの木箱が規則正しく並べられ、収集されたものが日を追って整理されている。所長の話しでは、これがこの研究所の財産であるというと「この中から何が出てくるか解らない。これまでの歴史を変えるような発見があるかも知れない。だから私たちは、細心の注意を払いながら、どんな小さなものもおろそかにすまい、見逃すまいとみんな真剣に取り組んでいる。」説明される大村所長の言葉には、熱がこもっていた。
この研究所の敷地と隣り合って日本庭園(広さ21,000m2)が98年に造られ、隊員、地元民はもとよりトルコ各地から訪れるトルコ人の目を楽しませている。
●第10次カマン・カレホユック発掘調査(1995年)の概要
ここで、今回お尋ねした遺跡の発掘調査につき大村幸弘所長の報告書(中近東文化センター発行の季刊誌メックジェ1996年6月12日号から引用)をもとにその概要を記してみたい。
・調査目的
第10次カヤン・カレホユック発掘調査の目的は大きく分けて2点ある。第1点は北区で文化編年を構築すること、第2点は南区でオスマン・トルコ時代、鉄器時代の集落址の形態を把握することである。
・調査経過
6月中旬の遺丘のクリーニングから始まり、それと平行して労働者の募集を行い6月19日から発掘に入った。北区全体のクリーニングを行うと同時に、崩落した土の除去を行った。クリーニングで集めた土、崩落上はフルイに掛けた。新たに設置した北の2区と昨年設置した27〜28区の4発掘区で開始した。南区では7月に入り本格調査を開始した。出土遺物の整理を8月初旬開始し、12月下旬まで行った。気球による撮影を10月初旬に2日間行った。