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なお、トプカプ宮殿の展示の中にシルクロードの歴史的出来とその文化交流の姿を説明する説明文と地図が掲げられていた。トルコ語と英語での説明板とその横には中国からトルコを含む中東に至る陸路と海路のシルクロードの道筋を描いた地図があり、当時の交易の様子を伝えている。今回の調査において、多数の博物館や歴史遺跡を見る機会があったがシルクロードの何たるかを語る所、語るもので唯一のものであった。

更に、トプカプ宮殿では車椅子利用者が観覧できるように段差のあると所にスロープを設けている等の配慮があり(後の写真参照)、関連施設への配慮水準の高さを感じさせる。

2] 国立考古学博物館

1881年以降のトルコ全土からの出土品とローマ、初期ビザンティン時代、トロイ、フリギア時代、キプロス、シリア、レバノン、パレスティナ等西アジア方面の出土品を集めてある。中でも、アレクサンダー大王の石棺はこの博物館を代表する展示物である。紀元前4世紀に白大理石で作られたこの石棺(2.12m×3.18m×1.67m)はマケドニア・ペルシャ戦争、ライオンと鹿狩りの2つの場面がレリーフで描かれ、薄い紫色の着色がされている。1887年に現在のレバノンのシドンで発見された古代王室基地の石棺の一つで、彫刻の題材にちなんでそう呼ばれている。

3] スルタン・アフメットモスク(ブルーモスク)

イスラム世界の象徴として1616年、スルタン・アフメット1世の命をうけて建造された。6本の尖塔(ミナレット)、高さ43m、直径27.5mの丸天丼のドームを持っている。6本のミナレットを持つイスラーム寺院は世界でただ一つしかない。内壁を飾る2万枚以上のイズニック・タイルは青色の非常に美しいもので絵柄は様々な模様の組み合わせとなっている。そのためこのモスクはブルー・モスクの愛称で親しまれている。モスク内部のステンドグラスや床に敷かれた繊毯は見事で、人気の由縁であろう。

4] アヤソフィア寺院

スルタンアフメット・モスクとトプカプ宮殿の間に建つ石造りの教会でビザンティン建築の最高傑作と呼ばれてぃる。西暦325年、コンスタンティヌス帝がアヤソフィアの元となる教会を建築し、その後東ローマ帝国の時代537年にユスティニアヌス帝の命でギリシャ正教の総本山として建立された。中庭にあるギリシャ様式の円柱は、ユスティニアヌス帝がアテネやエフェソスから運ばせたもので、内部に残る多数のモザイク画や直径31mの大ドーム等ビザンティン文化を象徴している。1453年にコンスタンティノープルが陥落した時、スルタン・メフメット2世により聖堂はイスラームの寺院に変えられ、メッカの方向を示すミヒラープが付け加えられた。その後1700年代にはモザイクに漆喰が塗られた。1931年アメリカ調査隊によりモザイク画が発見され、アヤソフィアは再び脚光を浴びる。1935年、ケマル・アタチュルクにより博物館として公開されることとなった。

5] シュレイマニュ・モスク

オスマン帝国が最も繁栄した時期のカリフ・シュレイマン大帝が造らせた寺院。金閣湾を見下ろす高台に建ち1557年に完成した。建築家はトルコ最高と言われた大建築家ミマール・シナン。59m×58mの床面に直径26.5mの円形屋根を乗せ、高さ35mの大ドームを仕上げた。このドームは象の脚とも呼ばれる巨大な4本の柱で支えられている。内部の装飾も美しく、ステンドグラスは16世紀に造られた彩色ガラスを駆使した細やかなもの。館内に見られるカリグラフィーもコーランの一説を書道の大家アフメット・カラヒサールが書いたもので、カリグラフィー(日本の書道に当たる)の美しい見本の一つとなっている。

 

 

 

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