そうすると、アイデンディティーというのが、儒教とか中華人ということに固定してくるわけですから、この20年ぐらいやってきたリー・クアンユーの政策と背反する側面が出てきてしまうわけです。シンガポール人になろうといっていたのが、アジアンバリュー、特に儒教を守れとか、老人を大切にしろとか、子孫繁栄という理念をもとうではないかということになってきて、それが儒教的な意味でいわれるとすると、ナショナルアイデンティティーというのは、シンガポールにとっては何だったのかだろうかという大きな疑問にとらわれざるを得ない時期に来ているのだろうと思うのです。
現在の世界の混乱というのは、所属する場所、アイデンティティーの対象が、かつてのネーションステートではなくて、より小さなものに分かれつつある、そのような現象が生まれてきていることにある、と思うのです。この場合、アメリカが一番困るわけでありまして、アメリカは、リベラルのデモクラシー、民主主義というものを1つのナショナルアイデンティティーのようにして掲げて、星条旗のもとに集まるという形でナショナルアイデンティティーをつくった国であります。しかし、そのようなつくったものではなくなって、より細かく分かれるという形での世界現象が、今の世界の混乱状況を生んでいるのだと思います。ユーゴなどは、まさにそういうアイデンティティー、歴史や言語や宗教や体験を異にしたものがみんなばらばらに分かれてしまって、逆にいうと、小さく分かれていくという原則があるのが、現在の混乱状況ではないかと考えているわけであります。
アメリカの場合には、湾岸戦争のときに、パトリオットという迎撃ミサイルが出てきましたけれども、パトリオットは、翻訳すると、愛国者というように一元的になってしまうわけでありますが、世界の国々でパトリオット、あるいはパトリオティズムといった場合には、それはむしろ愛郷心です。バルセロナならバルセロナのあるバレンシア、あるいはその北部の、言語においてバスク語というものを使っているバスクという土地にアイデンティティーをもっという形での郷土愛、あるいは愛郷心と愛国心というものをイコールにしてきたのが近代のナショナリズムでありますし、近代の国民国家、ネーションステートであったと思うのです。それが現在、より小さく分かれつつあることが、世界が混乱状況を呈している1つの大きなベクトルになっているだろうと考えているわけです。
〇モデレーター
ありがとうございました。
今、松本さんのお話の中で、例えばユーゴというのは佐藤教授のいう第3類型。シンガポールは、第1に入れないで第2類型の国と考えると、第1類型を主として考えていく場合と、第3類型との関連を考える場合、考えがおのずから違ってくるという側面をお話になったのかなということと、ネーションステートはもう用済みだと割り切るのか、そうでないのかによって、随分議論が違ってくるなという感じを私は受けました。
そこで、次の問題である日本の役割、あるいは日本のこれからのあり方という問題について、どなたでも結構ですから、お話しいただければと思います。先ほど佐藤教授から、先進民主主義国の一員としての日本の役割について、既に具体的にお話がありましたので、佐藤教授以外の方から、お一方でもお二方でも具体的にお話しいただければと思います。――もし今すぐないのでしたら、ここで参会の方々に参加していただいて、さらに議論を深めることにしてみたいと思いますので、国家の問題、あるいは最初の問題でも結構ですし、日本の役割という第2の問題でも結構ですから、ご質問なりご意見がありましたらご発言いただきたいと思います。
――了――