『啓』『発』とは
-自己啓発のすすめ-
『論語』は孔子の言行を編集したものとして有名ですが、そのはじめの一文をご存知でしょうか。
子曰く。
学びて時にこれを習う、また説ばしからずや。
朋あり、遠方より来る、また楽しからずや。
訳せば次のようになりましょうか。
「先生がおっしゃった。
学んで、しかるべき時にこれを体得する。これこそよろこびでないかな。
私たちが学習していることを聞いて、学問に熱心な仲間が、遠方より訪ねて来る。これも楽しいことである」
孔子は大思想家でありながら、数多くの弟子を持つ、優れた教育者でもありました。その理由のひとつは、この文の中にあるように、よろこび、楽しみといったような明るさの中で学問を展開したところにあるようです。
一方で孔子は、学問や教育の厳しさを知っていたようで、むやみに弟子を教えたがりませんでした。
ゆえに、同じく『論語』にあるように、

という教育方針でした。
なお、この語句の「啓」と「發(発)」より「啓発」という言葉が生まれています。
市長公室 職員課