また、鰐塚山西郡の北諸県郡山之口町(きたもろかたぐんやまのくちちょう)の麓(ふもと)集落には、古くから伝承されている文弥節人形浄瑠璃があって、地名を折り込んだ「東岳(ひがしだけ)猪狩り」の間狂言が上演される。鰐塚山一帯は飫肥(おび)杉の生産地として知られるが、照葉樹や落葉樹の雑木相もあって、猪の生息には適している。
南那珂郡北郷町板屋(いたや)は鰐塚山麓の裾野、開拓集落で一峠越すと北諸県郡三股町(みまたちょう)である。ここにはインガリ(犬狩り)があり、女猟師新谷さんが今はひとりとなった。古老によると付近の集落では、女性によるインガリも伝統的に行なわれた狩法のひとつであったという。いわゆる犬ヤマの猟法である。武者小路実篤の「新しき村」で知られる児湯郡木城町石河内(こゆぐんきじょうちょういしがわち)には、アイクチ(短刀)の犬ヤマ猟があり、南部の霊山霧島山麓(きりしまさんろく)には猪に飛び乗って仕留める犬ヤマ猟があったが、いずれも男性の業であった。インガリは名目の通り犬によってケリをつける猟法であるが、大猪になるとそうはいかず、犬がやられてしまう。しかも板屋の場合は、女性による犬ヤマである。犬はそれぞれ特技をもつ十匹ほどを率い、狩支度は農作業用の軽装、用具は腰ナタ一丁、リュックには握り飯と菜、普段の山入支度と変りない。要は「のさる」(山の神による分配)ことを祈り、獲物と対する気概である。
彼女は猪罠(ししわな)を兼ねており、インガリ猟を合わせると、仕留めた数は猪だけでも、三百頭をはるかに越えるという。オス猪の大物に見当をつけると、鉄砲とのクミガリをすることもある。