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◎宮崎県高原町狭野神社・狭野神楽の「田の神」

神武天皇の幼名を狭野皇子という。狭野(さの)神社は狭野皇子を祀る神社である。神楽は終夜舞い継がれ、神武にちなむと思われる物語も展開するが、夜半、田の神が登場し、猥褻な所作などをしたあと天地創造の物語を語り五穀豊饒の舞を舞う。この田の神は真っ黒な顔の老人である。

 

◎宮崎県西都市銀鏡神楽の「ズリ面」

銀鏡神楽では、神楽に先立ち措猟が行われ、仕留めた猪が神屋に奉納される。その前で終夜、神楽が舞われる。米良の神の降臨と猪狩りの物語が混交した神楽である。夜明け方登場するズリ面は、先住の山人であろう。いざりながら登場し、足を搦め、生殖行為と思われる所作をする。ズリ面は七つ登場し、「七鬼神」と呼ばれる。別の場面では田の神と山の神を演ずる。

 

◎宮崎県西都市狭上(さえ)稲荷神楽の「稲荷」

狭上稲荷神社は、米良山脈の最奥部にある神社である。ここでは、稲荷神の使いである狐が登場するが、狐・稲荷神ともに山神としての性格がつよい。

 

◎宮崎県椎葉村・十根川神楽の「猿面」と「こぶ面」

十根川神楽に登場する旗とこぶ面をついたヒョットコは、ともに山神の使いであろう。剽軽なしぐさで観客を笑わせ、観客にからむ。「鬼神」が登場すると、さかんに鬼神にもからみ、鬼神がもつ「鬼杖」(御幣のついた採り物)を奪おうとする。渡来の神と山民のせめぎ合いの場面であろうか。

 

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狭上稲荷神楽の稲荷

 

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椎葉村十根川神楽の猿面とこぶ面(ひょっとこ)

 

◎宮崎県推葉村尾手納神楽の「しょうごん殿」

神楽の起源は、古代中国に求められる。今から二千七百年ないし二千人百年前ごろ、すなわち殷から春秋戦国へと向かう時代のことである。このころ、世は乱れ、戦乱は相次ぎ、死者は山や川、平原を埋め、疫病や飢饉が発生した。古代社会にあって、「王」とは、天文や気象を占い、軍事を司り、農事の節季を示し、地霊・祖霊を鎮める呪術者(シャーマン)であった。呪力の強い王こそ、国を治めるものであり、「王」を示す「天」「帝」「神」などの観念が発生した。

王は、占いや軍事に失敗すると、殺され、生け贄とされたが、後には王の代役としてのシャーマン(男巫・巫女)が登場した。彼らの役割は、王に代わって呪術を行使し、王に意見を述べ、祭祀・演劇を司ることであった。「将軍神」はこうして発生した。「将軍」とは、いわずと知れた戦の神であり、制圧した先住民の霊を鎮め、封じる、強力な神である。将軍神は、怪異な仮面をつけ、派手な演技をして鎮魂儀礼をおこなったのである。

椎葉・尾手納神楽の「しょうごん殿」は、太鼓の上に御幣を立てられた徳利が乗ったものである。御幣または徳利がしょうごん殿だとは思えないが、それはしょうごん殿が宿った依り代だと思えばよいだろう。しょうごん殿に向かって、村人は、年次の報告をし、懺悔をし、また将来の希望と決意を述べる。しょうごん殿は、村人に対し、まだ反省が足りないだとか、将来の展望が明らかでないとか言って、何度も村人に反省と決意を繰り返させる。

 

 

 

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