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◎土俗面が語る山人の記憶◎

 

九州山地には神楽を中心として、さまざまな祭りが伝承されている。それらは、もともとあった山の祭りや田の祭りに「都」の祭祀形態や演劇等が移入され、習合したものである。都ぶりの演劇とは、「古事記」「日本書記」をベースとし、古代国家形成の物語を語るもの、源平合戦に題をとったもの、人情ものなどである。山深い九州山地では、祭りは生活と密着し、また稲作を中心とした平地の生活とは生活基盤そのものが異なっていたため、祭りもまた都ぶりの演劇一辺倒に塗りつぶされるということにはならず、山の神祭り、山民の祭りとしての要素が色濃く残ったのである。それらの要素を注意深く抽出していくと、そこには「山の文化」あるいは「縄文系の基層文化」とでも呼ぶべき「列島の古層」が見えてくる。それこそ、九州山地に残る山人の記憶であり、痕跡である。ここでは、由布院空想の森美術館収集による「九州の土俗面」により、その残像を追ってみることにする。

 

邪視の面

横を向いた一個の仮面。この仮面こそ「湯布院空想の森美術館」という美術館の設立の基となった素材であり、総数三〇〇点を越える仮面コレクションの第一歩となった仮面であり、私の仮面を巡る旅のきっかけを作ってくれた仮面であった。この仮面は、ある古道具屋の店先に転がっていた。私はぽっかりと開いたその眼窩の奥に、異界への入り口を見たような気がして、それを求めようとしたところ、その古道具屋の主人から「あんたにあげる」と、いとも無造作に、つまりタダで貰ったのである。その後数多くの仮面を手にし、見てきたが、いまだ同様の面に出会ったことがない。横向きの面とはきわめて珍しい仮面だったのだ。

この面を「邪視の面」と解釈すると、謎は解ける。邪視とは、強い呪力を持つ眼であり、邪視の面とは、悪霊を封じる鬼の面なのである。古代社会において、悪霊ほど恐れられたものはない。悪い土地の霊、病死したり不遇の死をとげた祖先の霊、制圧された先住民の霊。それらは激しく祟るとして恐怖の対象となった。天候不順、天変地異、疫病、不猟・不作、戦争での敗北。それらはみな悪霊による祟りとされた。その悪霊を封じるものが「鬼」であり、怒りの形相をした面こそ鬼を表し、呪力を持って悪霊を封じると信じられたのである。

 

鬼神

九州山地の神楽にはさまざまな「鬼神」が登場する。その多くは、火の神や荒神、あるいは日本武尊、須佐之男命、手力男命などの古代史における英雄だが、「山の神=鬼神」という事例があることを見逃せない。中国古代(春秋戦国時代ごろ)には、「善鬼」と「悪鬼」という思想がすでに成立していた。

悪鬼は前述したように地の霊、祖先の霊、制圧された先住民の霊などで悪霊である。その悪鬼を追うのが善鬼である。善鬼は土地の守り神や山の神、手厚く祀られた先祖の霊、戦に勝利し天寿を全うした将軍の霊などである。善鬼が悪鬼を追うという思想は「追儺(ついな)」「儺(ヌオ)」などの演劇形態としてアジア全域に分布した。九州山地の鬼神は、「善鬼」と「悪鬼」の両義性をもった、山の神的存在であろう。

 

稲荷

神楽における「稲荷」とは山の神である。九州山地・銀鏡神楽には、稲荷神の舞があり、その起源伝説として、『山神の使いとしての狐が山から五穀をくわえて降りて来て湿地帯に立ち止まったところ稲穂だけが落ちてそこが稲の実る所になった』という伝承がある。稲荷とはもともと狩りの領域を支配し、五殻を支配する神であったが、里へ降って田の神となったのである。

 

山神

中之又神楽(前述)には、さながら狼の顔のような表情を持つ仮面の舞がある。「鹿倉舞」であり「鹿倉様」とは「山の神」である。「カクラ」とは狩りの領域をさす。九州山地の山の神は文字通り山を支配し、狩りの恵みを約束する神である。山の神がこのような「仮面」というかたちで具現化されている例は珍しい。

 

 

 

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