椎葉村不土野(ふどの)・古枝尾(ふるえだお)では、十二月の神楽の日に御神屋のタカマガ原に『イッテイ殿』と称される人形御幣が祀られる。
古枝尾神楽の奉仕者、中尾谷の那須形次さんは、この日『イッテイ殿』の御幣のほかに、自宅のモリ木に祀る「モリ」の人形御幣も彫られる。神楽が終わると、この御幣をもって帰る。そして、かつては、家の裏山にあたる通称奥山にあったモリ木を、家のすぐ横になる荒神さんを祀っている場所に移し、モリ木を新しく定めたが、その木も倒れて、現在は南天の小木を「モリ木」として「モリ」の人形御幣をワラで巻き祀られる。
椎葉村のほとんどの所で、モリは神楽の日に祀られる。祀る家は地区・集落の開祖的旧家で、地域それぞれに人形のデザインが異なる御幣の「モリ」を持っていた。現在では家のモリ木ではなく、その地域の神社の森に、自分の家のモリ木を定め祀っているか、全く祀らないかであるように思われる。
◎山人の信仰◎
九州山地の奥深く、米良や稚葉に伝わってきたモリ木に屹立する人形御幣の「モリ」に共通することは、木をトーテムとして、その地の開発先祖的な旧家で祀られることであった。このことから考えられることは、すくなくとも明治神道以前の古い形の祖先崇拝、祖霊祭祀を示唆することである。
柳田国男は『先祖の話』『山宮考』と続く日本の祖霊信仰についての論考で、平地の里宮を祀る人の祖霊の始源的祭地は山中の山宮であったと説く。だが米良や椎葉の山中に生きる山人にとって、狩猟や焼畑といった暮しの恵みを生み与えてくれる場は、具体的にいえば「森」であった。そこに祖霊を宿らせ子孫を見守ってもらうという観念が『モリ』という山人の率直な信仰の名残りではなかったかと、私には思えるのである。
<民俗学研究>