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高千穂と五ヶ瀬の境界にそびえたつ二上山の乳(ちち)が窟(いわや)を根城にして、悪業のかぎりをつくしたと語り継がれている。ひときわ麗しい阿佐良女は祖母嶽(そぼだけ)明神の娘と伝え、鬼八に略奪されたともいうが、土地の明神(のちには、三毛入野命(みけいりのみこと)に奪い返される。

恋ふ妻を奪はれ非命ははじまりね

鬼八の憤怒(ふんぬ)天地を裂く

鬼八ふし人間とふデーモンと

戦ふ意思の戦士となりぬ

二上山は神体山で、男嶽(おだけ)・女嶽(めだけ)の二峰からなる。イザナギ・イザナミ両神の「神千生み給う所」との伝承もあり、古くから子授け・子育ての神として崇められてきた。

迫害をものともせずにおのれのみ

鬼となり果て二上に棲む

吹雪かせよ間(はざま)の雪よ風になれ

鬼八よ叫べ闇の果てまで

とろとろと眠りぬ鬼八とろとろと

とろとろ坂に鬼八眠りぬ

右大臣富高(たみたか)氏・左大臣田部(たべ)氏を率いた上地の明神(十社大明神)と激しく戦かったがついに悲運の死をとげた。高千穂神社に近い三田井神殿(みたいこうどの)の神州ホテル前に「荒振神(あらぶるがみ)・鬼八塚」があり、いま一つは三田井の徳玄寺横に注連(しめ)を掛けた自然石。さらにもう一つは、昭和四十九年度に高千穂高校プール造成工事の折、掘り上げられた。「霜宮鬼八是也 享保一九年九月吉日」の刻字がある。

袈裟掛(けさが)けに斬られ矢をうけ縄うたれ

鬼八の今際(いまは)空曇りくる

激闘の果てに鬼八は討たれたり

文治五年「十社大明神記」

高校のプール工事に掘り出でし

「霜宮鬼八是也」の碑

再生する鬼八鎮めの生贄(いけにえ)に、土地の生娘(きむすめ)を供犠したと伝える。この悪習を改めたのが、三田井家の武将甲斐宗雪(かいそうせつ)。高城山(たかじょうやま(標高九○一メートル)で巻狩りし、猪を毎年贄として供えた。

一ツ身を三ツ裂きされてとよめけり

地鳴り山鳴り鬼八の魂

をたけびをあげて巻狩り高城の

山に猪を狩る鬼八鎮めに

霜宮(しもみや)祭りは、高千穂町三田井にひそやに続けられてきた。鬼八伝承にちなんでの猪肉を供える「猪掛(ししか)け祭り」もその一つである。山間地帯の農業にとっては、早霜(はやじも)や遅霜(おそじも)の害は作物に決定的な被害を与える。霜宮祭りは、山からの冷風、霜害をおさめるための「山鎮め」の儀礼である。

鬼八の霊鎮めむ供犠の生娘の

藁家(わらや)に雪のただに雪降る

雪けむりあげて歌ふか夜泣石

風の華やぐ鬼八うどみぬ

阿蘇神社の摂社(せつしゃ)霜宮(熊本県阿蘇町役犬原(やくいんばる)の「火突きの神事」は、八月十九日の乙女入りにはじまり、十月十六日の乙女あげまで火焚き殿にこもり、火を焚きつづける。御神体をあたため、霜の害を防ぐための神事。山間地帯の農民は、自然に随順し、全て我がものとして受入れ、八百年も折りをささげてきた。

いつしかに鬼人は霜を司る

祠(ほこら)に籠り農の神なる

うつそみの身こそあはれと悟りにし

鬼八は切るぞ霜止めの咒(じゅ)

鬼八とは霜を鎮むる鬼八とは

風を鎮むる山の神なる

古くからさまざまに語り継がれている鬼八は、霜を自在に操り、人々の暮らしを左右する邪神でもあり、反面山間地農業を守護する神でもある。

猪を馬に懸け焼き献饌(けんせん)す

霜の神なる鬼八塚前

水の玉火の玉墳墓(ふんぼ)にかけらるる

「猪掛け祭」の献饌つづく

さやさやと振らるる笹に贄(にへ)の猪は

なさるるままに献饌となる

山間地帯に暮らす人々は、山には特別な神霊(仏性)がやどり暮らしを左右するものと考えた。山鎮めを行なうことは不可欠の年中行事であった。

神楽歌ささをよりつつうたひ継ぐ

鬼八ねむらせ霜を眠らす

五、六〇センチ程の笹竹に幣を切り下げた採り物を両手に、献饌の猪に向かい、笛・大鼓の奏楽に合わせて、

しのめやたむぐハむ さりやさそふ

まとハや ささくりたちばな

と「鬼八眠らせ歌」(呪歌)をうたい、さやさやと左右「の」の字型に、笹振り神楽を優雅に舞う。

谷は八ツ戸は九ツもありといふ

あららぎの里鬼八しのびぬ

<「心の花」所属>

 

 

 

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