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柳田国男は鍛冶屋の母について土佐の「産の杉」の例を挙げ、鍛冶屋の母は今日の産婆の役割があることを論じたが、谷川氏はさらにエリアーデの「タタラは子宮、鍛治技術は産婦人科の技術と同じである」という説を紹介、鍛冶屋の母とお産の関係を暗示する。

私がここで鍛冶屋の母をもち出したのは「鍛冶屋の母とお産」を「山姥とお産」の変化と把えるからだが、谷川氏は更に少子部栖軽(ちいさこべのすがる)伝承から雷神は小童の姿をしていること鍛治神と深いつながりがあることを論じた。

谷川氏は『日本書紀』の神武東征の条に、大和葛城に「赤銅(あかがね)の梟(たける)」なる土蜘蛛がいて侏儒のようであったとあることに注目、さらに小人がすぐれた鍛治であるという伝承が世界各地にあることから、鍛治-雷神-小童という関係の成立に説き及んでいる。

私が谷川説をもち出したもうひとつの理由は、土蜘蛛は縄文的生活からプレ大和朝廷体制に包摂されていった歴史のなかでタタラという共同体を越えた特殊な集団に組み込まれていったのではないかと考えるからだ。

 

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諸塚村七ツ山飯干の民家で祀られている「ヤマババジョ」の母子像。なぜか熊夫県の天草地方千祀られる「山姥」の像と同じものである(江口司様影)

 

そのプロセスのなかで豊饒と幸運をもたらす山姥像が次第に鬼女的なものへと変ってゆく、お産を助けるというモチーフだけを残しながら。稲作耕作民のムラが成立するとムラ的共同体の外は鬼や妖怪の住む異界とされるダイナミズムが働く。

それでは鬼人にタタラ的側面があるのか。私はいくつかの理由からその側面はあると考える。

ひとつは温羅伝は説の阿曽女の出自からだ。その地、吉備郡阿曽村は昔も今も鋳物師と深く関わる集落だ。「アソ」というのはタタラのひとつの指標であったかもしれない。

火焚き乙女が二カ月籠ってお火焚きをする霜神社の祭神は、天つ神七神とされ、古来北斗七星を祭るという伝承がある。即ち妙見信仰で、妙見信仰がタタラと深く結びついているのは今や常識となっている。

さらに霜神社の長いお火焚きの間に火焚き乙女と神官の擬制的結婚が行われる。このお篭りには乙女の一人の祖母が必ず随伴するが私はこの祖母に山姥、鍛冶屋の母をイメージしてみるのだ。

もうひとつ、高千穂の鬼八の住処が千千が窟(いわや)、千々が窟とされるが「乳が窟」とする例があって私はそれが本来の名だったと思う。先に引用した東靖普氏の『境のコスモロジー』のなかの「大きな乳房の古層」には岩宇土さんと呼ばれる洞穴があって、そこにはアワ、ヒエなどの焼畑の初穂が供えられるが、祭神には乳の神が祀られているというのである。

<広島大学名誉教授、比較文化論、人類言語学>

 

 

 

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