お火焚きをめぐる神官、火焚き、乙女、祖母と氏子
高尾張邑(たかをはりむら)に土蜘蛛あり、其の為人、身短くして手足長し。(日本書紀巻第三)
八束脛(やつかはぎ)とは脛の長さが八掴みあるということで極めて足の長いことをいう表現だし、さらに神武東征神話に登場する長脛彦(ながすねひこ)なる異族もあった。興梠さんの証言を踏まえて記紀、風土記の土蜘蛛の長脛をいう記録をみるならばそれらは決して土蜘蛛の名にひきずられた絵空言ではあり得ないことが理解されよう。
もちろん、日向にも土蜘蛛は存在していた。
日向(ひむか)國の風土記に曰はく、臼杵の郡の内、知鋪(ちほ)の郷。天津彦々火瓊々杵尊天(あまつひこひこほのににぎのみこと)の磐座(いはくら)を離れ…日向の高千穂の二上の峯に天降(あも)りましき。時に天暗冥(そらくら)く、夜畫別かず…ここに土蜘蛛、名は大鍬(おほくは)、小鍬(をくは)と曰ふもの二人ありて、奏言(まを)ししく…
このように高千穂に間違いなく土蜘蛛は異族としていたのだ。
ところでその「異族」とは何だろう。異端は正統の対語だ。したがってわれわれが異端、異族という場合は必ず正統の側からの発言となされる。
もちろん「異端」を共感と憧れをこめて使う場合もある。今度の異族特集などもまさにそういった場合だろう。それにしても異族への発言は正統のおごりを揚棄し、異端への鮮烈な共感をもってなされねばならぬ。
高千穂神楽にしてもそうだ。異端を神楽の正統的あり様から探り出すことは容易ではない。神楽の見物客は夜を徹しての三十三番の神楽から古代をさらに古代の彼方にあるであろう何かを探し求めるだろうが、そこにあるのは土俗の仮着を着た正統でしかない。