「見世物絵」の記事は、明治四十五年(一九一二)三月発行の第二十枝に見られる。具体的には、創刊以来の連載である「浮世絵類纂」の第二十として「見世物絵」をとりあげ、「見世物ということを広義に解したならば、演劇相撲など、総ての興行事をもふくむのであるが、今茲にいう見世物絵とは……一種特異の珍事物として、香具師共が興行した見世物の絵をいうのである」と紹介している。そして、連載の売り物である複製木版画としては、見世物扱いされた子どもの巨漢力士・大童山文五郎の墨摺報条を綴じ込んでいる(図5])。
同じ号の別の箇所に、歌川国芳が描く「活人形絵 安達原の鬼婆」が紹介され、外骨が生人形の錦絵を収集している旨の記事も見えることを考え合わせると、この「見世物絵」の紹介は、かなり意図的なものと見て間違いない。さすが外骨、という感をあらたにする。