大正アバンギャルドを支えた星新一のお父さんの星一が、台湾総督の保護の下に、キニーネのまがい物を売ったいんちき製薬を経営していた。大正年間に自分の会社のビルの三階に画廊を設置した。アバンギャルドたちの展覧会が盛んに行われたところです。ですから次の時代の面白いものはまがい物から出てくる。
木下……私は薬屋の息子です。こんなことを言うと、全国の薬局の親父に叱られますが、口八丁手八丁でだまして売る手口は今もきっと生き残っている。私の父親は、「体に悪いからできる限り薬は飲むな」と言っていました。
山口……私は鈴屋の息子です。親父はチッキで送られてきた飴缶をリヤカーに乗せて売り歩くのです。私は一緒に連れられて歩きました。
木下……薬屋の行商は見世物に繋がるのです。景品を配って騙して売る。口が達者じゃないとできないです。縁日の蛇屋も、最後には薬を売りつけるんですよね。
山口……だから日本の広告という美術のジャンルは、薬屋で促進されてきたところがある。
木下……そのとうりです。靖国神社に伝わる下岡蓮杖の巨大な油絵を、宝丹が持っていた。函館戦争と台湾戦争の絵です。明治九年に浅草奥山で見世物にされ、それを、宝丹が手に入れるんです。宝丹は不忍池の弁天堂で見せ、その後で靖団神社に納めます。私には、いつか書いてみたい本があります。書名だけが決まっているのですが、『薬屋のこどもたち』というものです。たとえば目薬で当てた岸田吟香の息子。劉生と並び称された小出楢重も大阪の薬屋の息子なんです。ダイエーの創業者もそうなら、マツモトキヨシの社長もそう。新しい文化をつくりだすようなバイタリティがある。