障害を持つ人たちが、見られるという受け身の立場から、見せるという主体的な立場に転化させることで生き生きしている姿を、山鳥娘のナミちゃんのなかにみたように思った。売られ、買われて移る小屋、小屋で次々と太夫さんが亡くなることから、〈太夫殺し〉と噂をたてられたりして、辛い思いもしただろうが、やはりナミちゃんの六九歳の人生を、見世物小屋が救っていたのではないだろうか。
桟敷を見ていると、どうも良識ぶったインテリ風だけが、拍手をしていいのか、笑っちゃあいけないんじゃないかとか、あれこれ思案にくれて戸惑っていた。