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見世物は山鳥娘というハナちゃんはとてもいい太夫さんでした。手が短い身障者ですが、足で紙切り細工をして屋形船とか大漁旗を作る。また編み物や裁縫をしたりする芸をしました。

他に変化といって、最初振り袖を着て出てくるのですが、それが段々骸骨までに変わっていくのです。一時はやりました。

マジックはトランクですね。美濃町の叔父さんの時からやっていました。蛇はニシキヘビです。それだけでは時間がもちませんから、犬の芸をやったりしているのです。水中と言って井戸のような桶を覗くと、井戸の底に人魚が泳いでいるのが見えるのです。潜望鏡の理屈でガリマキと同じ鏡のトリックです。井戸の上部に水を張り、その中に鮒とか金魚を泳がせておくのです。おかしかったですよ。海の設定なのになぜ金魚や鮒が泳いでいるのかと言うことです。昔はそれでもお客さんは喜んでくれた。ガリマキは腰から下は、大蛇がとぐろを巻いているように見える。それから芳江という太夫は、三本のジャグラーを使って曲芸をするのですが、しゃべりがうまく、お客さんを退屈させなかった。客寄せの口上も昔は、ただいらっしゃいませと普通に言って商売していました。見世物見るかサーカス見るかの楽しみしかなかった時代ですから、北海道では二里、三里先から馬車で家族そろってやって来るのです。団子家さんの口上はうまかった。真面目にしゃべるのでお客さんは信じちゃう。だからお客さんから石が投げられる。ほかに河童、ガリマキやバンセイなどの演し物があったのです。

 

◎西村太吉さん◎

 

松坂屋と西村宗吉………松坂屋は三重県の松阪の出身者数人が、江戸末期、全国を廻る行商をやっていたことでその名がつきました。今の東京目黒の自然公園、以前は競馬場で、その近くで予想屋さんと仲がよくなったのをきっかけに、予想屋さんの二階を借りて暮らすようになった。東京が一番住みやすかったのでしょう。「目黒の」と呼ばれていた。それで松阪出身の人が持つ権利の区域を小山吉五郎という人が、引き受けるようになり、松坂屋の初代になりました。

 

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調神社の見世物小屋に立つ西村太吉さん

 

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松坂屋代々受け継がれてきた神農様

 

 

 

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