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吉田東伍と世阿弥…本間寅雄

◎写しとった貴重な「安田本」◎

世阿弥(観世元清)がかがやきはじめたのは、明治四十二年(一九〇九)のことであった。それまでこの高名な能作者、舞古芸術家の存在はあまり知られていなかった。この年に吉田東伍校註の『世阿弥十六部集』が刊行され、多くの人たちを驚かせる。「展玩暫時、果して珍宝なり…予は年末想望の空しからざりしを喜び、特に能楽道の為に慶幸に勝(た)へざりき」と吉田氏は序引に書いていて、発見の喜びがどんなに大きかったかがわかる。

世阿弥の著述になるこの十六部集(「風姿花伝」)が「花伝書」と「別紙口伝」の二つになって紹介されているので、実際は十五部集である)は「旧藩華族某家」(もと大名の堀家)にあったのが、東京の銀行財閥、安田善之助氏に買いとられたもので「数日前に安田氏の蔵架に帰せり」と書いているから、ほとんど直後に目にとまったらしく、発見から短時日のあいだに解読、刊行された。埋もれていた芸術論書が一挙に公開されることになったのである。子息の吉田春太郎氏(元新潟県立図書館嘱託)は「吉田が芸能史上に創見があったのは、別に芸術心理に特に勘がきいたわけではなく、文書の理解と判定が多角的に働いていたからである」(越佐の生んだ日本的人物)とのちに回想している。

吉田氏は、明治三十七年(一九〇四)に発足する早稲田学園を中心とした同好者たちの能楽文学研究会に席を置いていたことがあった。能楽についての考察、その源流と変遷などの論文を発表したのもこのころで、能の歴史にかなりの知識を持っていた。大著『大日本地名辞書』が奥羽の部で完了するころの三十八年(一九〇五)には、世阿弥と父観阿弥の系図なども発表している。そして四十一年(一九○八)には、かねて筆写していた『世子六十以後申楽談儀』が、能楽の成立と鑑賞に「無類の珍籍である」と書いて紹介した。

 

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『世阿弥十六部集』の表紙

 

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「金島集」の末尾の一首と年記「沙弥善芳」の署名(安田本「世阿弥十六部集」から)

 

 

 

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