風の鳴る阿賀野川のダシ風…小尾章子
北国の町は、冬構を終えていた。
はじめて訪ねた町の、はじめて会う人に、慣れぬ日本酒をしこたま飲まされて、その夜私は床についたのであった。
暗闇の中で、風はいっそう激しくなったようだった。ひゅううひゅうう
と空を暴れ、どどーんと地に打ちつける。窓ガラスが鳴り、ほの青い障子がはためく。肩のあたりに寒が細く忍び込む。風がぶつかるたび、大きな家は揺れた。身を縮めて、ただただ心細かった。風を、はじめて怖いと思いながら、私は眠った。一晩中、風は猛り狂ったように吹いていた。
新潟県北蒲原郡安田町(きたかんばらぐんやすだまち)。遠く尾瀬を源とし、会津の山々をぬけてきた阿賀野川は、平野の広がるこの町で一気に流れを増す。峡谷におこった風は、出口を求めて吹き降りてくる。安田名物ダシの風。風が頼りの船頭たちに時に船出を体ませ、時に大火をもたらしてきたこの東南の風を、人々はそう呼ぶ。
あの晩から、縁あって、この町に折りふし通って五年が過ぎた。漁師、船頭、舟大工、川砂利取り、農家の主婦。阿賀野川の端に暮らす老人たちの、昔語りを聞いている。
「舟の上で川の水飲んで、川の水でご飯炊いて。川ん中で生きてきたようなもんだった」
男衆たちは砂利や米を舟にのせ、新潟へと川の道を下った。学校を出れば、男の子は船頭へ修業に出された。「阿賀の端(はた)に暮らすには、舟知らねばなんねかった」
山林のない部落では、焚物取りはすなわち川の木切れ拾いである。時に、上流の鹿瀬町や会津から下ってくる筏(いかだ)の、難破したその流木を、人は競って舟を出し、拾った。信濃川と阿賀野川が注ぐ新潟の湊は、各地の船頭でにぎわっていたという。芸者あげてさ、それが楽しみでねえ。男たちの昔語りは、いつも誇らしげだ。
「川行って大根洗って。おしめも川で洗って。田んぼ終われば、冬場は稲藁で俵やら筵(むしろ)やら布団、雪沓(ゆきぐつ)、なんでも夜なべして作ってね。ほんに休んでる暇なんてなかったがねー」
風にさらされて頬を赤く照らした女の人たちの、苦労話もまた語り種である。
阿賀野川を挟んで、あたり一面田んぼが広がる。食べなせ、食べなせ、と老人たちは口癖のように一言って、客にご飯をたらふく食べさせる。安田自慢の米である。統計でみれば、ダシ風の影響で、町の単位収量は県平均を大きく下回るのだけれど。畑でも葉物は商品にならず、根菜類が主である。