かつては、川筋の船頭がこの風を頼りに帆船で荷を新潟の湊まで上り下りした。川は、交通の動脈であるとともに、水を汲み、薪をひろい、魚を獲る生命線でもあった。だが、今はこの広い河原を、ただの厄介もののダシの風がボーボーと吹き荒れるばかりである。
往時の川自慢を聞かせてもらおうと、随分と川筋の村々を廻った。映画を撮るための準備のはずであったが、昔の川の姿を目のあたりにするかのような話ぶりに、私はいつも魅了されていた。
暴れ川の流路を地名と伝説から明らかにしようと努力された市川寛蔵さんの印象がその中でもひときわ強い。安田町千唐仁という川船頭の集落の旧家で、村の人から市川様と呼ばれていた地主の御当主である。