渡辺…腎臓が悪かったという話です。直接の死因は尿毒症でした。三男の冬蔵氏の話によれば、実際のところ、亡くなる前年、早稲田の学長人事を巡って起きた「早稲田大学騒動」の頃から体調の不調はあったようです。
議長役的なポストに座らされて、年中、東伍の家に教授や学生が訪ねてきて調停役を務めていました。その心労が積もり、騒動の直後、床につくようになった。医者にも行かず、薬も飲まなかった。家族や市島春城に再三説得されてようやく利根の付近に転地療養に出かけたのです。『国史大辞典』の編集はやっていたのですが、その他は学校の公務に追われていました。これが東伍にかなりの負担になっていたと思います。
◎東伍の古代的精神の魅カ◎