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県庁で義彦が収集したのは明治初年編纂の「新潟県史」「柏崎県史」「相川県史」や「御陵墓関係書類」「新潟県神社寺院仏堂明細帳」などと考えられ、これらは既刊の『越佐史料』および未刊稿本には引用されていますが、『大日本地名辞書』に直接の引用はありません。筆耕者数名に写させるというのも、かなり本格的な編史作業を思わせます。すでにこのころ、いつの日にか大部の史書を編纂しようと、資料収集を始めていたのではないかという気がします。やり方も、天分にまかせて突き進む兄東伍とは違って、人を使いかなり組織的だったように思います。

ここで『越佐史料』の概要を説明しますと、これは東大の史料編纂所で明治以後現在なお編纂を続けている『大日本史料』の越佐版といってよく、年月日の順に簡潔な文で史実を記し、その論拠となる史料を可能な限り挙げるという体裁をとっています。『大日本史料』は六国史の後を受けていますが、『越佐史料』は『古事記』『日本書紀』に「越」「佐渡」が現れる神代から始めて、明治四年の廃藩置県までの計画でした。

昭和六年(一九三一)の義彦の死によって事業は中絶し、刊行は天正十二年(一五八四)六月までの巻六で終わりとなりましたが、明治四年までの稿本が中蒲原郡横越町の北方文化博物館に収蔵されています。それを調べてみますと、筆写史料の筆跡もさまざまで、渡辺世祐(よすけ)、花見朔巳(さくみ)・布施秀治(ふせひでじ)ら名のある学者のほか筆耕者も雇い、また特定者に筆写を依頼することもあったようです。文禄以後、特に江戸時代は史料の題だけあって内容が空白であったり、まだ錯雑していますが、天正十九年(一五九一)までは義彦の朱筆が入っていて、すぐ印刷に回せる段階になっていたことがわかります。

年ごとに修校月日など義彦のメモが記されていますが、特に修校の最後である天正十九年の綴じ込みに記された義彦の朱筆には感動しました。

 

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右が兄の東伍で左が弟の義彦(年不詳)

 

 

 

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