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◎山林地主の家に生まれた東伍

 

谷川…高橋義彦と吉田東伍は兄弟ですが、双方の苗字が変わっていますね。

渡辺…吉田東伍は、元治元年(一八六四)、当時の保田町村(やすだまちむら)(現在の安田町大字保田)で旗野木七(はたのきしち)・園子(そのこ)の三男として生まれました。四男に三代三郎(みよさぶろう)がいて改名して義彦になるのです。義彦は、今の新潟市、中蒲原郡大形村海老ヶ瀬(えびがせ)の大地主高橋(たかはし)家に養子に行きます。東伍は阿賀野川対岸にある今の新津市大鹿の吉田家へ養子に行きます。

谷川…吉田東伍はペンネームのような感じがするのですが、実名なんですね。とするとをつけた父親はかなりの教養人ですね。

渡辺…木七さんは古樹(こき)という号を持って和漢の詩を作っていました。能書で知られた地元のインテリ、苗字帯刀を許された山林地主です。

谷川…東伍の経歴を見ますと、十二歳で新潟の英語学校へ入学し十三歳で退学し、郵便局や役場の手伝いをする。それは経済的な問題が背景にあるのですか。

渡辺…博物館においでになるお客さんにもよく質問されるのです。東伍は独学だという話だけど、貧乏で学校へいけなかったのですかと。しかし旗野家は地主です。所有耕地、田畑は三百五十町歩程度と、この地方の地主としてはそれほどでもないのですが、山林が三千七百町歩もありました。

 

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明治末期のころの東伍の生家(左の家屋)

 

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新潟英語学校時代の東伍
(1877年2月17日撮影・12歳)

 

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新潟英語学校校舎

 

 

 

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