18. 山崎恒次家住宅 (今崎屋) 本町4-10
主屋規模(間) 5×6 切妻造・瓦葺 明治35年
軒形式 登梁 庇形式 鉄板葺
当家は屋号を今崎屋といい、一番町通りに西面して米・麹・味噌を営なんでいる。明治32年の火事で土蔵だけ焼け残り(現存)、主屋は焼失後、ただちにつくられ、3年後の明治35年に完成したといわれている。初代の頃は、横町の現正津家の西隣にあり、今出屋を名乗っていたが、天保4年生まれの権三郎の代に現在地に移ったという。以前は久保家(10)や南部家(46)にみられるような煙出しが乗っていたが、瓦に葺き替えた時に取り除いている。腕木・出桁で軒を支え、下屋庇は薄板の上に鉄板を葺いていて、軽快な表構えを呈している。間取りは、右手2間が店を兼ねた玄関とその奥に板間が続き、左手3間は板敷きのミセノマ、10畳のが並んでいる。特にブツマとザシキは、棹縁天井で長押を巡らし、整った室内構成をもっている。